1 市庁舎の変遷

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 1924(大正13)年9月1日、郡山町は隣接する小原田村と合併、人口3万9,003人で市制施行した。その時の市庁舎は、燧田(ひうちだ)(駅前)にあったそれまでの町役場を使用、看板のみ「郡山市役所」と掲げた。翌25年、桑野村(現開成地区)とも合併し、人口4万2,984人となる。


①1924(大正13)年9月、小原田村と合併、郡山市となった当時の市庁舎

 この頃第二次移庁運動が盛りあがり、また郡山西部耕地整理事業が完成、蜘蛛(くも)の巣状態の作場道は整然とした基盤の目の道路と変わり、赤木や虎丸周辺は住宅地となり、多くの人が移り住み、活気あふれる市の姿となった。昭和になると全国的に昭和恐慌の嵐が吹くが、郡山は県庁移庁の機運にあふれ、人口5万人を目指し、県内一の庁舎建築に取りかかり、1930(昭和5)年駅前から麓山に新市庁舎を新築移転(現合同庁舎)させた。この年の福島市の人口4万5,691人、若松市4万3,731人で、郡山市は県下一の人口を誇る都市になった。


②1930(昭和5)年、細沼に新庁舎を建設、建設中の庁舎

 新市庁舎の総工事費3万1,800円、総2階建、一部塔屋部分が3階、4階(ここに1944(昭和19)年市立図書館が開館する)建、鉄筋コンクリート造、仕上げは花崗(かこう)石張り、漆喰塗(しっくいぬり)の白亜の殿堂となって完成。


③白亜の殿堂として完成細沼に美しい姿を写す市庁舎

 1945(昭和20)年の終戦後は、1953(昭和28)年町村合併促進法が公布、日本列島改造論がとびだすなか、昭和30年代は高度経済成長期となり、郡山は交通通信の発達と共に工場が集積、新産業都市構想に名乗りをあげる。そして1965(昭和40)年1市12町村が大合併をとげ、現在の市域を誇り、人口22万3,183人の仙台に次ぐ東北第2位を有する大郡山市となった。市域の拡大に伴い新庁舎の要望高く、1968(昭和43)年麓山から現在の朝日一丁目に新市庁舎が新築移転となった。


④1968(昭和43)年、麓山から現在の地に移転新築された現庁舎と左側は分庁舎を開成山野球場からみる

 市制施行70年となった1994(平成6)年、さらなる市民サービス向上を図るため、市庁舎の西隣りに分庁舎建設となる。分庁舎は総工事費68億円、地下1階地上8階建、2階部分で本庁舎との連絡通路がある。分庁舎は市民の身近な課がおかれ、待合室には証明書交付番号を知らせる電光掲示板が設置、7階には市議会議場がある。

 少子高齢化社会の到来となり、2009(平成21)年分庁舎隣りにニコニコこども館が開館。子育て支援の殿堂となっている。