2 文化施設と市民生活

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 昭和30年代の郡山は、経済県都と呼ばれ商圏60万の活気あふれた都市で、公共施設も相次いで建設され、市民の文化活動も活況(かっきょう)を呈していた。その拠点として、1958(昭和33)年麓山に図書館、そして市民会館(宮本百合子の弟中條国男設計)が東北一のホールとして完成。1961(昭和36)年には児童文化会館が新築開館した。1975(昭和50)年になると東北新幹線、東北縦貫自動車道の計画が着手され、世はまさに高速交通時代となる。市民生活もこの頃になると徐々に変化を求め、娯楽性、利便性を要求し、さらなる文化施設の充実が求められた。そこで1973(昭和48)年公会堂の隣に中央公民館が新築、1980(昭和55)年に児童文化会館が開成山公園内に新築された。跡地の麓山には1981(昭和56)年市立図書館が新築開館(旧図書館は昭和57年郡山市歴史資料館として開館)した。東北新幹線が開通した1982(昭和57)年、麓山の水タンク跡地に婦人会館(現さんかくプラザ)が新築開館する。1984(昭和59)年は市制施行60年の年、その記念事業として堤下の専売公社跡地に、文化の発信基地の郡山市民文化センターが新築会館する。30万都市郡山にふさわしい文化施設が整い、市民生活も多目的かつ活発に展開した。1979(昭和54)年、郡山には美術館構想としての「郡山に美術館をつくる会」が発足し、1万5,000人の署名を集めていた。1987(昭和62)年になり市立美術館検討委員会が設置され、東部地区に建設することを決定した。そして1992(平成4)年、風土記(ふどき)の丘と愛称をつけた安原地区に郡山市立美術館が開館した。

 広域な郡山市は、少子高齢化に伴い、行政サービスの充実は欠かすことのできない課題となり、支所は順次新築改善された。市民に身近な文化施設としての図書館も見直され、1991(平成3)年希望ヶ丘図書館、翌92年には安積行政センター新築で2階に安積図書館が、93年には富久山行政センターが新築されると2階に富久山図書館がそれぞれ開館された。

 1962(昭和37)年郡山青年会議所が発足すると同時に、郡山ゆかりの文学者「久米賞・百合子賞」が創設され現在までも続いているが、市民有志も文学館建設を願い、1998(平成10)年郡山初の「郡山ゆかりの作家と久米正雄・宮本百合子文学展」を開催。これがきっかけとなり鎌倉の久米正雄邸が郡山市に寄贈となり、2000(平成12)年郡山文学の森資料館が開館した。現在、市民の関心事は音楽堂建設であろう。

(伊藤和)