長い間郡山地域の人々は、阿武隈川や支流の蛇行(だこう)(曲流)のために起こるたびたびの洪水に悩まされ、その克服に努力してきたことは、「42阿武隈川の洪水と石渕金(いしぶちきん)」の項目などに述べられている通りである。
阿武隈川は、江戸時代の郡山の古文書などには「大隈川(おおくまがわ)」と表記されることも多く、地域の人にはこの名になじみがあったと考えられる。
「隈(くま)」の語源などから考えると、「大隈川」とは、「大きく曲がって流れている川」といっていいのだろう。今の地図だけを見ると、曲流は多くないのになぜと思われるだろうが、1909(明治42)年頃の地形図を見ると、阿武隈川が驚くほど曲流していたことが分かる。この曲流の原因は、数万年に及ぶ阿武隈川の浸食(しんしょく)活動の結果である。小和滝(こわだき)(西田と日和田の間)から安達郡にかけて、岩盤のため流路が狭くなっている所もあり、郡山地域の平坦部(へいたんぶ)では、阿武隈川の流量が多い時には大きな氾濫(はんらん)がおこり、大変長い年月の間に何段もの河岸段丘(かがんだんきゅう)ができ、また川の両側には広い氾濫原(はんらんげん)が形成された。横塚南部のU字の曲りの「石淵(いしぶち)」や小原田東部の大きな曲流部分の「八作内(はっさくうち)」、また日出山東部のU字の場所(金屋(かなや)や徳定(とくさだ)も含めた)などが洪水の常襲(じょうしゅう)地域であった。
地図1の阿武隈川流域の土地利用をみると、広い地域が桑畑(の記号)になっている。養蚕(ようさん)が盛んだったこともあるが、洪水への対応策と考えてよいだろう。桑の木はある程度高さがあるので、被害を最小限に食い止める一つの方法でもあったのだろう。
この洪水の被害は、明治、大正、昭和になっても状況は変わらず、福島県や郡山盆地や福島盆地の自治体にとっては、何としても解決すべき大きな課題であった。福島県ではついに1919(大正8)年、阿武隈川と同様に洪水被害を及ぼしていた阿賀川(あががわ)も含めて、二つの大規模な河川改修工事を決定し、国にも働きかけ工事に取りかかった。
郡山地域での工事の主な内容は富久山町久保田から安積町笹川までの地域で、阿武隈川の流域変更(大きな曲流を切断し真っ直ぐにする)に伴う、新たな川の掘り込み(掘削(くっさく))と、新しい川全体に新堤防(ていぼう)を築く(築堤(ちくてい))こと。また、曲流部分の川の埋め戻しと古い堤防の取り崩し、新しい堤防強化の護岸(ごがん)工事と、小さい川の流れ込みのための樋管(ひかん)の取り付け、新しい橋の付け替えなどであった。支流である逢瀬川や谷田川、笹原川も阿武隈川の曲流部分に注ぐためにこの工事の中に一部組み込まれた。この河川改修工事は開始直後から国の直轄(ちょっかつ)事業として進められた。しかしこの大工事は大正後半から昭和10年代までの、我が国の激動期の中で進められたため、予定通り進まないことも多かったのである。
《主な掘削工事》◆阿久津~小原田間〔1922(大正11)年~1925(大正14)年〕◆小原田~笹川間〔1924(大正13)年~1925(大正14)年〕
《主な築堤工事》◆阿久津~徳定間〔1924(大正13)年~1934(昭和9)年〕◆横塚~笹川間〔1924(大正13)年~1934(昭和9)年〕◆谷田川及び笹原川〔1928(昭和3)年~1935(昭和10)年〕◆逢瀬川(合流部から鉄道鉄橋まで)〔1928(昭和3)年~1936(昭和11年)◆久保田~八丁目間〔1931(昭和6)年~1950(昭和25)年〕◆阿久津~鬼生田(おにゅうだ)間〔1931(昭和6)年~中断を経て~1952(昭和27)年〕
この大工事には大型掘削機械も導入され、その大きさから安積永盛駅まで鉄道輸送した後、阿武隈川を工業船で運び現場へ移動させたという。なお現在、帝京安積高校の北側に残る大きな水路はかつての阿武隈川の名残であり、また、「古川」といった地名になって旧流路の跡が残っている所もある。
以上のほか護岸工事やその他の付帯工事については略すが、洪水で苦しんできた本市では、この河川改修工事に向けて払われた先人の努力を忘れてはならないことだろう。
1952(昭和27)年頃の地形図(地図2)を見てみると、阿武隈川が現在の姿になっているが、旧流路の跡は行政の境界線となって残っている。阿武隈川周辺の土地利用を見ると、見事なまでに桑畑が消滅して普通畑(記号のない空白部分)になっている。養蚕業の衰退(すいたい)と関係もあろうが、河川改修で洪水の被害が減ったためと考えていいだろう。この地域が現在は中央工業団地として本市の工業で重要な役割を果たしている。
第1図として掲載したこの地域の航空写真(1947年米軍撮影)をよく見ると、安積町から富久山町にかけて、かつて阿武隈川が流れたであろう流域を見つけることが出来る。昔の流路や先人の姿に思いをはせてみよう。
(参考文献・資料)
「阿武隈川上流改修史」(旧建設省東北地方建設局・福島工事事務所編昭和36年刊)〔5万分の1地形図「郡山」(国土地理院)]
「郡山地区航空写真」(1947(昭和22)年米軍撮影)