郡山市は、中核市かつ東北を代表する商工業都市であり、第2章 経済の記述のように、商工業の蓄積のうえに、2014(平成26)年産業技術総合研究所に再生可能エネルギー研究所、2016(平成28)年に「ふくしま医療機器開発センター」など国や県の開発拠点の誘致に成功して、政府の成長戦略に即応した都市づくりをしてきた。そのため、地元ブランド産品や観光資源の開発、過疎地域での移住定住は、市政の重要政策には位置づけられなかった。しかし、全国的には、小泉内閣以来の既存の産業政策や地域政策が、東日本大震災の影響や中国の経済大国化やアベノミクスの効果によって、第二次安倍内閣の時期に成果をあげて、政府の重点事業になった。
a ふるさと納税
ふるさと納税制度は、第一次安倍内閣の菅義偉総務大臣が2007(平成19)年に開始した税金の寄付控除を活用した地方自治体への支援政策であった。そして、その結果は寄付金=財源の獲得と地元ブランド産品販売をめぐる自治体間の競争となり、寄付金控除は、大都市圏の税源が地方へ流出する状況をもたらした。当初2008(平成20)年には、寄付総額は81億円にすぎなかったが、13年後の2021(令和3)年には寄付総額は8,302億円に激増した。その要因は、2012(平成24)年から「ふるさとチョイス」などの寄付者と自治体との仲介サイトがSNS上に開設されて、寄付者と自治体の手続きが簡便になったこと、政府が、2015(平成27)年から寄付額の上限を引きあげ、寄付者の確定申告を省略できる制度を創設したことだった。
この間、自治体間の返礼品をめぐる競争の過熱や、寄付額から2,000円を引いた全額が税額控除となって、実態は高額所得者むけの減税制度になっていること、返礼品の購入額に加えて仲介サイト業者への手数料や自治体の事務経費が膨張して寄付額の50%前後になっていること、地元ブランド品の有無などによって寄付金額の自治体間格差が甚だしいことなどが、問題として指摘されてきた(『朝日新聞』2023年6月28日「ふるさと納税ルール見直し」)。
総務省の現況調査によれば、2021(令和3)年度に山形県が獲得した総寄付額が374億円だったのに対して、同年の福島県は53億円だった。同年の山形市が38億円に対して福島市が12億円、さらに郡山市はわずか1億円だった。郡山市の実績は2019(令和元)年まで一貫して1億円にさえ届かず、取り組みが効果をあげなかった。
b 地域おこし協力隊と地方移住
地域おこし協力隊は、2009(平成20)年に総務省が開始したもので、応募した若者が過疎地域などに住民票を移してまちづくりなどで3年間活動する場合、隊員の人件費と活動費で毎年総額300万円を地方交付税特別交付金で受け入れ自治体に措置するものだった。開始直後の2012(平成24)年には、全国で617人に過ぎなかったが、10年後の2021(令和3)年には全国1,061自治体に6,015人が活動するまでに激増し、隊員の50%がその自治体に定住する成果をあげていた。大都市圏の若者のなかには、リーマンショックや東日本大震災を契機に都会の生活に違和感を抱いたり、田舎暮らしに関心をもったりする人々が増えていった。
総務省のHPによれば、福島県内の隊員は、2012(平成24)年の120人から2021(令和3)年の196人まで増加した。しかし、郡山市が受け入れた隊員は2021(令和3)年にわずか3人だった。
安倍内閣は2014(平成26)年から開始した地方創生事業のなかで、大都市圏から地方への人の移動、移住定住を奨励してきた。しかし、2010(平成22)年と2020(令和2)年の国勢調査によれば、全国の人口は1億2,805万人から1億2,614万人へと191万人減少していた。そして、東京からの主な移住先は、首都圏の郊外に展開した川崎市、さいたま市、千葉県北西部の松戸市から流山市までの諸都市、それにつくば市の新興住宅団地だった(増田寛也・砂原庸介(2023)「対談コロナ後の首都圏回帰」『中央公論』6月号)。アベノミクスによる大都市の景気回復は、むしろ大都市圏への人口集中をもたらしていた。総務省は、東京圏以外への移住を促進するために2019(令和元)年「地方創生移住支援事業」を開始し、地方に移住する人々に対して、一世帯に300万円を支援することにした。
2020(令和2)~2021(令和3)年には、コロナ禍が大都市圏に蔓延し、サラリーマンにテレワークが推奨されたため、地方への移住者が増加した。福島県では2021(令和3)年に2,333人の移住者があって過去最多だった(『朝日新聞』2023年6月29日「移住者、過去最多」)。しかし、転入出の結果(社会増減)は6,637人の転出超過であり、人口流出に歯止めがかかることはなかった(福島県(2022)『福島県の推計人口令和4年版』)。
c 観光振興
小泉内閣は、成長戦略の一つとしてクールジャパン観光立国をめざし、麻生内閣期の2008(平成20)年に観光庁が発足した。観光庁は観光圏整備法によって、観光のまちづくり事業を開始した。しかし、外国人観光客は2008(平成20)年の835万人から2011(平成23)年の621万人へと伸び悩んだ。リーマンショックによる世界経済の縮小と、東日本大震災が訪日観光客数に影響したのだろう。安倍内閣は、アベノミクスの成長戦略として日本再興戦略を毎年策定していったが、2013(平成25)~2014(平成26)年の戦略の中心はICTやロボット産業での規制緩和による大都市圏の再開発だった。
ところが、2013(平成25)~2014(平成26)年の2年間で、インバウンド外国人観光客は800万人から1,300万人へと急増した。それに対応して、2015(平成27)年度の再興戦略には「観光産業の基幹産業化」が明記されて、観光庁による観光立国モデル事業として「観光まちづくり運営組織」DMOを市町村に設立する補助事業が開始された。そして、2016(平成28)年の再興戦略では、成長戦略にビッグデータやAIによる「第四次産業革命」とともに、「ローカルアベノミクスの強化」の内容として、観光振興が「観光は地方創生の切り札」と位置づけられた。
さらに、再興戦略の後継である未来投資戦略2017(平成29)年版は、2020(令和2)年東京オリンピック・パラリンピックを目標にして、2020(令和2)年度のインバウンド4,000万人という目標が掲げられた。安倍内閣期には、ユネスコの世界遺産が日本国内9ヵ所で新たに指定された。また2018(平成30)年の未来投資戦略では、「日本遺産」など観光拠点200ヵ所を整備することとした。2019(令和元)年にはインバウンドは3,188万人に達した。
2012(平成24)~2019(令和元)年のインバウンド観光ブームは、2020(令和2)年のコロナ禍で中断してしまったが、ブーム発生の原因を振り返ってみれば、日本の和食やサブカルチャーが世界ブランドとなっていたこと、中国政府が2009(平成21)年から2010(平成22)年にかけて個人観光ビザを解禁し、中国人観光客の大量来日と爆買いが始まったこと、2012(平成24)年から格安航空券が東アジアの国際線で発売されたこと、そして、アベノミクスによって2013(平成25)年から急激な円安が進行したこと、それで、アジアの観光客にとって日本は、安くて、近くて、便利で、面白くて美味しい観光地となった。