4 郡山市長選挙

<2013(平成25)年4月7日告示・同月14日選挙>

 任期満了(4月26日)に伴う郡山市長選挙は、現職の原正夫(無所属)に新人の元郵政審議官、品川萬里(無所属)が再度挑む戦いとなり、終盤に追い上げた品川が6万1,468票を獲得して初当選を果たした。原の得票は5万3,812票であった。東日本大震災と福島第一原子力発電所事故後の復旧・復興にも関わる初の市長選であったにもかかわらず、投票率は45.01%と前回を下回り、過去2番目に低い数字となった。

 2候補が出馬の意思を表明したのは2012(平成24)年12月のことであった。原は定例会本会議において、創風会の議員からの質問に対し「子どもたちの健康日本一を目指し、ふるさと郡山の創造に向け邁進していく」と決意を述べた。一方、品川は記者会見を開き、「政治、行政は子どもに焦点を当てて取り組まなくてはならない」などと述べ、「子本主義」を掲げている(『福島民友』2012年12月21日)。

 品川は前回とは異なり、政党への支援を要請しなかったが、出身校の同級生や市議、市職員OBらが品川の再挑戦を支えた。品川陣営は「選挙戦序盤では組織戦を進める現職に苦戦を強いられた。しかし、政党の支援を受けない『市民党』を強くアピールすることで、態度を決めていなかった無党派層を終盤になって取り込んだ。地域的には前回、支持が広がらなかった旧市内や東部地区に食い込んだ」(『福島民報』2013年4月16日)。

 前回の市長選後、品川は捲土重来を期して郡山市内を地道に歩き、市民の間に着実に浸透していった。東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所事故による前例のない経験を経て、閉塞した現状を打破したいという市民の切望が新市長誕生を後押ししたとも言える。

 一方、3選を目指す原は強靭な組織力を背景に選挙を戦ったはずであった。郡山市選出の県議会議員のうち、前回は品川を支援した県議や市議も「復旧・復興の過程にある郡山で、首長の交代はマイナスである」として、原市政の継続を支持した。前回は自主投票だった自民、公明各党の郡山総支部は原の推薦を決定し、市議会最大会派や公明党所属の市議らの支持も取り付けた。

 原の地区後援会数は品川の組織をはるかに上回り、市全域を網羅していた。「原氏の選対幹部らは『信じられないの一言。震災、原発事故対応に伴う現職ゆえの批判票。実績や訴えが伝わりきれなかった』『今思えば組織力に油断があったのかもしれない』と敗因を分析、悔しさをにじませた」(『福島民友』2013年4月16日)。

 原発事故直後を振り返ると、原は市独自で学校の表土除去を決断する等、遅きに失した国の対応を待たずに動き、効果的な除染の検証や実践にも取り組んだ。しかし、選挙における品川の得票は前回並み、原が1万8,000票余を減らした事実は、現職批判の大きさを示す証左である。「震災対応で原氏の評価は比較的高いという見方もあった。今回の有権者の選択は郡山にとどまらず、県内で今後行われる他の首長選にも示唆するものが多い」(『福島民友』2013年4月16日)と報じられた。

 郡山市長選以降、現職敗北の連鎖は9月のいわき市長選、11月の福島、二本松市長選と続いた。特に郡山、いわき、福島の主要都市における市長選について「投票率が低迷したにもかかわらず大差がついた結果からは、厚い組織でも十分に機能せず、その組織を支える有権者の意識と大きな隔たりがあることを突きつけた」(『福島民友』2013年11月18日)。

 投票率を地区別に見ると、富久山の41.41%が最も低い。次いで安積42.73%、郡山43.14%、喜久田43.48%、片平45.97%、日和田48.49%と5地区で5割を下回った。「品川氏の得票は有権者総数の4分の1に満たない。政策論争とは別に相手陣営を意識した批判合戦も一部にあり、選挙への関心を失った有権者もいたとみられる」(『福島民報』2013年4月16日)。

 原発事故に伴う原市長の所在に関するデマを巡っては、品川新市長誕生後の市議会でも再三取り上げられるなど尾を引いた。「震災直後、原は開成山野球場に設置した市災害対策本部で陣頭指揮を執った。自宅が一部損壊したが、災害対策本部に昼夜を問わずに詰め、市民生活の安定に努めた」(『福島民友』2013年3月7日)。こうした事実は市災害対策本部会議録、市長送迎記録等からも裏付けられたが、未曽有の大災害に端を発したデマや中傷との戦いも強いられる特異な選挙戦であった。


<2017(平成29)年4月9日告示・同月16日投票>

 任期満了(4月26日)に伴う市長選挙において、現職の品川萬里(無所属)が新人の元郡山市議、濵津和子(無所属)を破って再選された。品川は1期4年の実績を訴えて幅広い層に浸透するなど前回選挙より6,000票近くを上積みし、6万7,354票を獲得した。

 濵津は市長選の約2ヶ月前に1期目半ばで市議を辞したが、出馬表明の遅れと知名度不足もあって3万3,363票にとどまった。市選管によると、1965(昭和40)年以降で女性候補の市長選出馬は初めてのことであった。

 品川は2016(平成28)年12月定例会において、第二会派・新政会の議員の質問に答弁する形で、立候補の意思を表明した。また、今回の選挙戦においては1期目の公約を自己評価した「マニフェスト通信簿」を発表している。品川は、この中で「優先度の高い項目から着々と実現した」と自己評価する一方、公約17項目のうち15項目については「継続」と記載し、実現の途上にあるとしていた。「品川氏は『そう簡単にはいかないと、市長になってみて初めて分かった部分も多かった』と率直に認める(『福島民報』2017年4月19日)。

 対立候補である濵津は、こうした状況を念頭に「停滞した市政運営で公約も実現されていないものも多い」と現職批判を展開した(『福島民友』2017年3月25日)が、品川は現職としての強みを遺憾なく発揮した。「後援会組織を市内全域に拡大、組織は約50を数え、地盤を固めた。政党の推薦こそなかったものの、市議会会派・新政会の市議や民進党の県議らの支援を受けたほか、自民、公明、社民各党の支持層にも浸透するなど党派を超えて幅広く支持を広げた(『福島民友』2017年4月17日)。

 今回の市長選を巡っては、市議会の最大会派・創風会が独自候補の擁立作業を進め、濵津を送り出したという経緯がある。当初は郡山市選出の県議に出馬を要請したが実現には至らなかった。会派内では、出馬に意欲を示した元郡山市技監を推すべきといった意見、独自候補の擁立自体に慎重な意見もあったが、最終的には濵津の行政経験の長さなどが決め手となった。

 郡山市出身の濵津は1974(昭和49)年に市職員となり、課長、次長職等を歴任し、郡山市初の女性部長に就いた経歴を持つ。品川は当初、濵津を女性副市長とすべく議会に人事案を提出して否決され、濵津は2015(平成27)年市議選で初当選するというキャリアを辿った。

 投票率は38.05%で過去最低を記録した。地区別に見ると、富久山が34.04%と最も低く、郡山35.89%、喜久田36.28%、安積36.50%、片平39.52%と5地区で4割を下回っている。また、市長選において「18歳選挙権」が初適用となり、市選管は若年層の投票率向上に向けて市内の大学、専門学校等を訪問して協力を依頼するなど周知に努めたものの、18歳の投票率は22.93%、19歳が14.77%にとどまった。


<2021(令和3)年4月11日告示・同月18日投票>

 任期満了(4月26日)に伴う市長選挙において、現職の品川萬里(無所属)が4万3,944票で3選を果たした。元県議の勅使河原正之(無所属)、元市議の川前光德(無所属)の2人が現職に挑み、次点の勅使河原は終盤の猛烈な追い上げで4万907票を獲得し、3,000票差まで詰め寄った。川前は清新なイメージで市政刷新を訴え、2万1,850票を得たが、いずれも及ばなかった。

 品川は12月定例会において、新政会の議員からの一般質問に答える形で「市政発展のため、新たな時代への攻めの体制を築いていく」と決意を述べた。勅使河原は11月に県議を辞職した後に記者会見を行い、立候補を正式表明している。川前は12月に出馬を表明したが、出馬会見においては、勅使河原、川前ともに台風19号での市の災害対応、コロナ禍での施策等を批判するとともに、市政刷新の必要性を訴えた。

 品川は新政会と緑風会に所属する市議の応援を受け、連合福島などの団体から推薦を受けて戦った。両会派には自民系の市議が複数所属しており、勅使河原は自民党県連郡山総支部長、川前は自民党県第2選挙区支部青年局長を務めた経歴を持つ。勅使河原は市内全域に組織した各後援会を動かし、市職員OBらの熱心な支援にも後押しされながら支持を拡大させた。川前は自ら会長を務めていた自民系最大会派・志翔会に所属する市議の支持基盤等を足掛かりに浸透を図るとともに、地縁のある市北西部などで集票した。

 現職と新人2人の自民支持基盤の重複に加えて、新人2人は旧市内が地盤でもあり、各候補者の支援、支持の構図は複雑に絡み合った。自民、立憲民主、公明、共産の各党は自主投票となった。

 選挙期間中、各候補者は有権者に対しどのような政策を訴えたのであろうか。

  勅使河原候補は市議、県議を長年務めた実績をアピールし、新型コロナに対応した経済県都づくり、浸水地域支援制度の創設などを掲げている。新駅の整備による郡山南副都心構想や東部地区のデジタル田園都市構想の実現を訴えている。

  川前候補は市議として市政に精通する強みを生かし、定住人口・交流人口の増加、コロナ禍で落ち込む経済への対策を訴えている。幼稚園や保育所、小中学校の給食費無償化による子育て環境の充実などの政策をアピールしている。

  品川候補は『誰一人取り残さない郡山』を掲げ、8年間の実績を強調している。新型コロナウイルス感染症や水害など市民生活に直結する重要課題への継続的な対応、高齢化や環境問題を将来から逆算して取り組む政策などを訴えている(『福島民報』2021年4月18日)。

 今回の選挙戦では、現職に対抗するために新人候補者の一本化を目指す動きもあった。郡山経済界や高等教育機関の関係者らが調整に腐心したが、保守層の様々な思惑が交錯した結果として実現には至らなかった。川前はこうした動きを鑑みつつ、一時は自らの出馬辞退も視野に入れていた他、最大会派の会長としての責務もあり、市議を辞職したのは告示日が迫る4月に入ってからであった。

 品川陣営では前回並みの得票を目指したものの、2万3,000票余を減らす結果に終わっている。「今年の県内の首長選挙は相次いで現職が敗れ、選対は危機感を募らせた。現職への批判票が、結果として新人2人に分散したことも、陣営に有利に働いたとみられる」(『福島民報』2021年4月19日)。

 「新型コロナで選挙戦術の転換を強いられる中、各候補は会員制交流サイト(SNS)を活用するなどして浸透を図ったが、有権者の反応は鈍く、知名度で勝る現職に有利に働いた」(『福島民友』2021年4月19日)という見方もあった。

 投票率は40.66%と、辛うじて4割を上回った。地区別に見ると、富久山35.99%、喜久田37.96%、安積38.00%、郡山39.48%の4地区で特に低迷している。最も高いのは湖南67.93%で、6割を超えた唯一の地区であった。