2 会派

 市議会における会派とは、同じ主義・主張を持つ議員で構成する任意の集合体である。この10年間において市長選挙、あるいは市議会議員選挙等を契機として、会派の構成人数が変動したり、新会派が結成されたりするなど変遷が見られたが、特徴的だったのは多数の議員が属する大会派が姿を消し、過去最多となる11の会派に細分化されたことである。

 なお、2015(平成27)年に制定された郡山市議会基本条例において、会派は「政治的信条、政策等を共有する議員により結成することができる」と定められるに至った。この条例には、政策立案や政策提言に関する調整、会派間での合意形成を図って円滑な議会運営に努めるとの方向性が明記されている。

 2013(平成25)年の市長選挙において、最大会派である創風会が推した現職が敗れ、品川新市長が誕生した。これにより、全議員40人のうち18人が属する最大会派と市長との関係性に変化が生じた。創風会に加えて、郡山市議会公明党(4人)、社民党(3人)、共産党郡山市議団(3人)、虹とみどりの会(2人)、郡山の未来をつくる会(1人)の各会派が是々非々の立場で臨んだことは議会活動に大きな影響を与えた。

 一方、新市長誕生を後押ししたのは第二会派の新政会である。ただ、会派を構成する9人全員が品川市長を支援したわけではなく、東日本大震災及び原発事故からの復旧・復興の継続性という観点から橋本幸一ら3人は惜敗した現職の支持に回ったという。戦いの後は一致結束して品川市政を支えることを誓い、第二会派を「少数与党」と位置付けていた。

 会派構成に変動があったのは2015(平成27)年の市議会議員一般選挙の後である。創風会では、柳沼清美が引退し、ベテランを含む現職3人が落選するという波乱があったが、大木進、佐藤栄作、濵津和子、森合秀行、山口信雄の5人が加入したことで総勢19人と改選前より1人増えた。この選挙から議員定数が38人となったので、創風会は全議員の半数を擁する最大会派となった。

 新政会では現職3人が落選し、會田一男、折笠正が加入したものの、この年に現職1人が死去しており、所属議員は2人減少し、7人となっている。

 郡山市議会公明党は栁沼隆夫が引退し、後継の山根悟が加入。社民党は村上武が引退して現職1人が落選するも、飯塚裕一と八重樫小代子が加入した。共産党郡山市議団は橋本憲幸が引退し、後継の岡田哲夫が新たに加わったが、3会派の構成人数は変わらなかった。

 2人会派だった「虹とみどりの会」は現職1人が立候補を見送ったため、蛇石郁子1人となった。初当選した箭内好彦はいずれの会派にも属さず、1人会派「無所属の会」として活動を始めた。この時点の全会派数は7となっている。

 2017(平成29)年4月の市長選挙から1ヵ月後には、最大会派に動きが見られた。創風会から女性候補者を出したものの、大差で敗北した結果を受けて議長職にあった今村剛司が離脱し、1人で新緑風会を立ち上げたのである。今村が市長選において現職を支持し、会派内で問題視されたことが背景にあったという。

 今村が離脱した10日後、創風会は解散し、志翔会と名称を変更して新たなスタートを切った。この時点での議員数は現職の死去もあって計17人であった。一時は25人もの議員を擁した大会派は2003(平成15)年の発足から14年の歴史をもって解消されるにいたった。

 なお、市長選挙と同日施行の市議補選で当選した馬場大造は旧創風会、渡部龍治は新政会にそれぞれ入会した。

 2017(平成29)年8月には志翔会の大城宏之が1人で創流会を作ったが、2019(令和元)年の市議選後には元に戻っている。その時点において、志翔会は大内嘉明の引退、山口信雄の県議転出、現職の落選、死去などで12人の会派となっていた。

 一方、新政会は橋本幸一が引退したが、三瓶宗盛、福田文子が加わり、良田金次郎が返り咲いたことで、その数を10人に増やし、第一、第二会派の勢力が拮抗していくことになる。

 今村が立ち上げた新緑風会は2019(令和元)年の改選後、緑風会と名称を変更した。志翔会から諸越裕と大木進が移籍し、名木敬一が新たに加わって4人の交渉会派となった緑風会は、新政会とともに品川市長を支持する立場で活動している。

 2019(令和元)年の市議選においては、引退した岩﨑真理子の後継として出馬した新人が落選し、共産党郡山市議団は2人会派に甘んじることとなった。社民党は飛田義昭が県議選に転出したものの、栁田尚一が返り咲き、引き続き3人態勢となっている。初当選した吉田公男は立憲民主党の1人会派を立ち上げた。

 新政会に所属していた渡部龍治は2020(令和2)年に脱会し、新たに国民民主党の1人会派で活動を始めた。翌年の2021(令和3)年には社民党が「立憲・社民フォーラム」と名称を変更した。これは社民党の党員と所属議員が政治団体の社会民主主義フォーラムを設立し、一部が立憲民主党で活動する流れを受けての改称であった。翌年には立憲民主党郡山に改めたが、3人の構成議員に変更はなかった。

 2021(令和3)年4月の市長選において、最大会派の志翔会は再び候補者を送り出すことになる。その3ヵ月後には佐藤栄作、村上晃一、新政会の三瓶宗盛が3人で自民党郡山市議団を結成した。志翔会はそもそも自民系の議員が集まる会派であるが、会長に就いた佐藤は「自民党を名乗ることで国への要望などがしやすくなると考えた」という。翌年10月には、県議選出馬のため佐藤徹哉が辞職し、志翔会、新政会の所属議員はそれぞれ8人となった。この時点での会派数(1人会派を含む)は11に増えている。

 かつての大会派は議会運営をはじめとして正副議長ポスト、常任委員会の人事等に大きな影響力を持っていた。そこに所属する議員は正副議長、あるいは常任委員会の委員長、副委員長ポストに就くなど恩恵に浴する機会に恵まれた。その一方で、「会派会長の鶴の一声、集団の意見が重んじられてきた」、「議員個人の意見が埋没してしまうこともある」と指摘する議員もおり、過去最多となった会派の存在は議会のさらなる変化を促す可能性を秘める。

 多様な意見を議会に反映させるという点においては、2021(令和3)年9月から交渉会派の要件が従来の4人から3人に変更されたことも大きい。これは議会改革特別委員会での議論をもってなされたものである。

 協議の場においては、従来通り、4人以上を交渉会派の要件とすべきという意見も出たが、郡山市議会では過去にも3人以上だった時期があること、全国の中核市において郡山市以外の地方議会は3人以上であることを根拠に変更すべきとする議員も存在した。いずれにしても「民意反映のためには多くの会派が議会運営に参画するべき」という立場からの意見が優勢であった。

 これにより、交渉会派は各8人で構成する志翔会と新政会、4人の郡山市議会公明党と緑風会、3人の立憲民主党郡山と自民党郡山市議団の計6会派となった。非交渉会派は共産党郡山市議団(2人)、虹とみどりの会、無所属の会、立憲民主党、国民民主党(各1人)となっている(2022年10月時点)。

 会派別の議員名については『資料編』(第4編・4-3)の通りである。


参考資料

 福島民報、福島民友、読売新聞の各紙面及びホームページ(HP)、郡山市及び郡山市議会HP、市議会だより、創風会だより、志翔会だより、新政会だより、社会民主党市議会ニュース、総務省HP、厚生労働省HP、内閣府HP、各政党のHP、北海道栗山町議会HP、郡山市史続編3及び続編4、原正夫著(2014)『不忘録「2011・3・11」原正夫の“覚書”』、 増子輝彦(2013)『フクシマから未来へ」東方通信社、根本匠(2015)『真の政治主導復興大臣617日」中央公論事業、このほか郡山市議、各種選挙関係者らの直接取材をもとに執筆した。

(佐久間 道子)