(1) 『郡山市史 続編5 通史編』で取り上げる総合計画

 いわゆる「総合計画」とは、自治体運営の方針と手段を長期に渡って示したものである。その根拠は1969(昭和44)年の地方自治法改正において、「市町村は、その事務を処理するに当たつては、議会の議決を経てその地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行なうようにしなければならない」(第2条第4項・当時)と義務付けられたことにあった。

 この改正に先駆けて、旧自治省の委託調査報告『市町村計画策定方法研究報告』(国土計画協会)が1966(昭和41)年に刊行されている。同報告では、基本構想を頂点として「基本計画」「実施計画」の3層からなる総合計画の構成が「適当」としている。呼称自体は様々であるが、以降、この3層の体系からなる総合計画が全国の市町村で策定されてきた。郡山市もまた、同様であった。

 しかし、2006(平成18)年の地方分権改革推進法制定以降の第二次地方分権改革における義務付け・枠付けの見直しを受け、2011(平成23)年の地方自治法改正により総合計画策定の義務付けは廃止された。義務付けの廃止とは、より自主性に基づいた自治体運営を促すことに他ならない。

 その最近の策定状況について、『「基礎的自治体の総合計画に関する実態調査」調査結果報告書』(日本都市センター(2016))によると、全国の市区町1,558団体中940団体(60.3%)から有効回答を得た内の924団体(98.3%)が「計画期間中の総合計画がある」と回答している。つまり策定は任意になったが、なお自治体は総合計画に基づいて運営にあたっている。それは正に、計画行政をめぐる自治体の自主性、創意工夫が問われる時代の到来を意味していよう。

 では、郡山市の総合計画の場合はどうか。『郡山市史 続編5 通史編』は2012(平成24)年1月1日から2021(令和3)年12月31日までを対象範囲としている。その間の時系列は図のように示される。

 すなわち、「第五次総合計画前期基本計画」の残り1年3ヵ月、「同後期基本計画」の5年、そして名称も内容も新たになった「郡山市まちづくり基本指針」の策定期間2年及び開始から第2階層前期の終了直前3年9ヵ月である。本節ではそれぞれの内容、特徴を概観する。


図1 郡山市の総合計画の推移(2012年1月1日〜2021年12月31日)
(注)各計画に基づき執筆者作成