地震・津波は東京電力福島第一原子力発電所事故を引き起こし、放射性物質は市内にも飛散した。2011(平成23)年3月15日には郡山合同庁舎で8.26μ㏜/hを記録した。当時の空間線量率は、市の中央部分が南北方向に高く、東と西は低い結果であった。こうして市は、除染や風評被害対策といった過去に類のない災害対応に直面することになった。のちの報道によれば、3月16・17日頃、更なる原発事故の悪化に備え、市長らは市内の児童6,000人を放射線量の低い湖南地域の五つの廃校に避難させる計画を極秘に準備していた(『朝日新聞』2020年12月11日、『福島民友』2021年2月21日)。事故は次の爆発には至らず、計画は実行に移されることはなかった。
市内から他市町村への避難者は2013(平成25)年2月の6,040人がピークで(『毎日新聞』2020年2月25日)、2021(令和3)年度末には3,667人であった。避難者の多い新潟、東京等県外で開催される避難者交流会に職員を派遣する取り組みは、県外避難者に対し市の放射線被害対策を周知し相談を受け付けることを目的に2019(令和元)年度まで実施された。また、避難指示区域外からの避難者に対しても供与されてきた借上げ住宅等の応急仮設住宅による住まいの支援が2017(平成29)年3月で終了することを受け、2016(平成28)年度には避難世帯への戸別訪問が集中的に実施された。県内への避難世帯には市職員が2名体制で訪問した。県外の避難世帯については福島県が主体となった戸別訪問が行われ、市は北海道、栃木、新潟に対し19週間延べ95人の職員を派遣した。市は、市内からの避難者への支援として、「広報こおりやま」等の各種市政情報の送付、母子避難者等に対する高速道路の無料措置に係る証明書の発行、避難先の公営住宅への入居要件の緩和に必要な居住実績証明書の発行を継続して実施した。