『郡山市史 続編4』の「農林水産業」で、2002(平成14)年に竣工した国営郡山東部地区総合農地開発(いわゆる東部開発事業)について記述している。
この対象地である東部地域は阿武隈川の東岸側の山間地域であり、阿武隈山地に属して傾斜地や急峻な場所を多く含む地形であり、土質としては花崗岩・真砂土質が多い。原発事故以前の課題としては、従来は農業生産をするには土壌改良による肥沃度・保肥力の向上が必要であったことがある。原発事故の影響の一つとして、周囲の豊富な里山資源や木質燃料の燃焼後の木灰の活用が難しくなったことが指摘できる。
西田町の東部開発地区の一区域(旧高野村)において、2012(平成24)年産の大豆から基準超過の放射性物質が検出され、同区域産の出荷自粛(11月14日)ののち、年を越して2013(平成25)年1月4日に同区域産の大豆に対して政府から出荷制限が発令された。
翌2013(平成25)年産では、該当する区域の生産者とほ場を特定して徹底して土壌管理と吸収抑制対策(カリウム材の施用)、そして生産物の管理(洗浄工程の見直し等)を実施し、全生産者・全ほ場での基準値を下回る結果が得られた。出荷制限の解除は2014(平成26)年10月7日(同年産から出荷可能)であった。
従来、西田町では在来の有色大豆である青肌大豆の栽培が盛んで、東部地域の土質にも合っていたことから、青肌豆腐の材料としての需要も堅調であった。2012(平成24)・2013(平成25)年の期間に従来の豆腐向け取引が途絶えたことから生産再開に当たって白色大豆(タチナガハ等)に全面的に切り替えることもありえたが、地域の特色ある有色大豆にこだわり、福島大学の食農大学院(後述)と連携して2014(平成26)年度に有色大豆の栽培と加工の試験を実施した。
対象として選定したのは、青肌系の「秘伝」と「福島4号」である。同年度を通して、生育・収量・加工適性・豆腐にしたときの味と香りと色味を比較しつつ大学生による食味評価も参考にした結果、「福島4号」の生産に西田町として取り組むこととした。

図12 試験栽培のほ場に掛けられた看板
実証試験の趣旨、播種した品種名(福島4号、秘伝、あやみどり、タチナガハ)、畝間・条間・播種密度、10a当たりの施肥量(放射性物質吸収対策)としての硫酸カリ・苦土石灰の施肥量が記載されている。2014(平成26)年9月(筆者撮影)
同地区では、2015(平成27)年5月に青肌大豆(福島4号)の生産を志向する大豆生産者によって西田大豆生産組合を設立し、安全管理及び品質向上のための技術の統一化や種の確保、将来の法人化に向けた検討などに取り組んだ。また、試験栽培の時期の経験を生かして、明確に6次産業化志向をもち、独自性の発揮を目指し、小規模豆腐店での需要を開拓した。
西田町の青肌大豆の市農業における位置を知ることができる資料として、2017(平成29)年度から2021(令和3)年度までの5ヵ年の「郡山市6次産業化推進計画」(2016(平成28)年度とりまとめ)の中で、「モノづくり」の項目の先進事例として取り上げられたことが挙げられる(図14)。
そこでは、特色ある地域野菜の栽培と普及を進める郡山ブランド野菜協議会、市内産野菜を加工した野菜ジャムを製造している東栄産業、自然酒や米麹のスイーツづくりに取り組む仁井田本家(田村町)と並んで、「西田地区における青肌大豆育成事業」が記載された。
その記載内容としては、「西田町にある耕作放棄地の再生と6次産業化に向けて、郡山市の在来種である青肌大豆を使い、産地育成事業が行われた。この事業には、市と連携協定を締結している福島大学の協力を頂き実施された。生産物は、市内の豆腐製造業である大内豆腐店が買い取り、青肌湯葉豆腐として市内デパート等にて販売している」というものである。
本事例は、東部開発地域という自然的条件の下で原発事故の影響を受け、長い歴史をもつ青肌大豆が途絶えそうになり、かつ耕作放棄地になる寸前のところから試験を繰り返し、6次産業化の事例として市内の代表例とされるまでに至った関係者の努力が特筆でき、また、大豆での基準値超過という点で名前が出た同地区が逆に同地区に固有の特産品を生み出して地区名の復権を果たした成果でもあり、注目すべきものであった。