(15) 結び

 2019(令和元)年に発生した東日本台風は、郡山市内では、阿武隈川本流の越水・溢水による洪水被害だけでなく、藤田川や逢瀬川などの支流が阿武隈川に合流する地点で大規模な越水や堤防決壊を起こし、市内各河川の流域での治水対策が課題となった。

 その教訓を踏まえて、市内の水田を「田んぼのダム」として大雨による急激な河川増水を緩和できるようにしていく仕組みの整備が開始された。水田が持つ多面的機能の一つである、洪水緩和機能の発揮を目指すものである。

 先行して、市内の都市部の洪水防止を目的として、郡山市の日本大学工学部(土木工学科・朝岡良浩研究室)との連携により「水田の多面的機能(田んぼダムによる都市部の浸水被害軽減効果)実証事業」が2017(平成29)年から3年間実施されており、田んぼダムの貯水による下流の都市地域の浸水被害の軽減の効果が確認されるとともに、広域の水田を田んぼダムにしていくことがより有効であるという示唆が得られていた。

 2021(令和3)年11月に、逢瀬町の多面的機能支払交付金の活動組織である「河内(こうず)故郷つくる会」と郡山市が田んぼダム事業に関する連携協定を締結した。逢瀬川の流域である河内地区の水田124筆(約44ha)において、排水調整器具を設置するなどの「田んぼのダム」機能を持たせる実証をするものである。同月には、河内地区の水田で、田んぼのダムの器具設置の講習会が行われている。

 今後、都市部(旧郡山など)の市民や商工観光関係者たちが、西部地域などの広大な水田が持つ大事な機能と、その保全・発揮に努めている農家の役割を評価し、交流していく姿勢も求められよう。また同じことは山間部の森林・林業にも当てはまる。

 振り返れば、本『郡山市史 続編5』で対象とする2012(平成24)年から2021(令和3)年という時期は、従来からあった農業の低迷を乗り越える振興策・担い手づくりの課題や、水田の活用対策や農村部の活性化をどうしていくかという根本問題がいよいよ高まってきていたことに加え、東日本大震災(2011(平成23)年)の発災に伴う農地・自然環境・農産物の放射性物質対策や、生産再開、需要回復、農業・林業離れの食い止めという難題がのしかかった。

 その中で、本編の期間を通じて郡山市の農林水産業は、復興に向けて、農地・自然環境の再生事業や、農協と市がタッグを組んだ新たな米事業や、ワイナリー開設を通じた新規事業、直売所・地域の特産品づくりを通じた農村部の再生などの課題に粘り強く取り組んだ。そこでは、市農政・県普及行政、各農業団体・地域組織、そして大学の連携がこれまで以上に重要な役割を果たした。

 また、食大学構想・開成マルシェ・フードキャンプ、それらを通した農業振興の「郡山方式」の台頭、さらに、鯉のプロジェクト・ワイナリーフェス・フードフェスなどの新たな形の食と農のコミュニティ形成や、観光と食産業と地域の振興を連動させる動きも芽生えた。

 そのような復興の努力と新たな挑戦の中で、再び、2019(令和元)年発生の令和元年東日本台風により、市内の地区によっては農業の基盤である農地・用排水路や、施設・設備などに大きな被害を受け、東日本大震災後にも匹敵する事業再生の労力が投じられた。

 加えて、2020(令和2)年度からの新型コロナウイルス感染症の流行とそれに伴う蔓延対策は、飲食店や商店街を苦しめ、また食の需要構造を大きく変貌させた。さらにマルシェやフェスのようなイベントの開催は制約を受け、直売所の祭りや集落活動なども一時停止を余儀なくされた。しかしそれもまた乗り越えて、産業や集落の再度の活性化の活動を再開する動きが出て来ている。

 度重なる災害や続発する制約条件を超えて来て、改めて見つめると、自然環境や地域資源を守り、改良し、また自然条件と対峙・共生していく農林水産業という産業は地域振興の根幹であるという事実はより強まっているといえる。

 また、その根本に再三再四立ち返る中から、協力・連携の仕方をその都度組み直して、新たな価値を生み出していけるように取り組んでいくのが郡山市の農林水産業のこの10年間の歩みを通じて生み出された郡山方式とも呼べるものであろう。

(林 薫平)

図49 「田んぼのダム」の排水調整器具の設置方法の講習会
逢瀬町河内地区にて。2021年11月(郡山市農林部提供)