(1) 東北地方における工業の特徴と新展開

a 東北地方における工業の特徴 

 高度経済成長期の末期にあたる1960年代後半から、大都市圏における労働力不足(賃金上昇)や地価高騰などによって、製造業大企業の傘下にある工場の地方分散が活発化した。また、郡山市も1964(昭和39)年に新産業都市に指定された全国総合開発計画をはじめとする地域開発政策の全国的な展開によって、地方圏においても交通網や工業団地などのインフラ整備が進展し、工場の地方分散の動きを側面から支えた。工場の地方分散を担った中心的な業種は、電気機械工業などの組立型工業や衣服(アパレル)工業であった。電気機械工業の場合、図1で示したように、本社、研究所、本社工場(マザー工場)などの企業組織のなかでも管理・生産の両面にわたる高度な機能を大都市圏に置き、低付加価値の標準品の量産や部品生産、部分工程を担当する分工場や生産子会社を非大都市圏の都市部に配置した。製造業大企業は、こうした地域間分業体制をとることで、非大都市圏における相対的に安価な労働力と工場用地の確保を可能にした(末吉健治(1999)『企業内地域間分業と農村工業化–電機・衣服工業の地方分散と農村の地域的生産体系–』大明堂)。

 企業内地域間分業の進展は、公共事業の拡大と並んで、非大都市圏における地元就業機会を拡大していった。こうした1970年代における地方経済の成長を安東は、「発展なき成長」と特徴づけた(安東誠一(1986)『地方の経済学–「発展なき成長」を超えて–』日本経済新聞社)。研究開発機能などの頭脳部分を欠いた工業化や財政による所得のトランスファー(公共事業)は、地方経済の大企業や中央政府への従属を深め、新たな形での構造的問題を累積させたと捉えられたのである。まさに、既存の地理を基礎に、新たな地理が創出されたわけである。こうした構造のもとにある非自律的・非自立的な地域経済は、「分工場経済」と表現されることもある。進出企業自体の動向を地元自治体がコントロールできないからである。当該地域からの事業撤退などを巡って問題となる側面である。

 東北地方の工業は、以上のような特徴をもつがゆえに、1990年代初頭にバブル経済が崩壊し、大企業の海外進出が本格化すると、急速に縮小することになった。しかし、2014(平成26)年前後からは、海外の進出先で相対的に人件費が高騰したことや円安が進行したことから、主として国内需要に対応するために、製造業の国内回帰が指摘されるようになった。また、2011(平成23)年の東日本大震災からの復興を目的に、再生エネルギーなどの研究機能が拡充されるようになっている。地方工場において研究機能を強化する動きは、民間の製造業にもみられるようになってきており、郡山市においても従来の弱点であった「頭脳部分を欠いた工業化」を転換する動きとして注目される。


図1 企業内地域間分業と地方工業


b 自動車産業の展開 

 もう一つ、この10年間で注目される工業の動きは、東北地方においても自動車の完成車工場が整備され、関連企業を含めて自動車工業が本格的に展開し始めたことである。

 1960年代後半からのホンダ系、日産系の部品メーカー進出を別にすれば、東北地方における自動車生産は、1993(平成5)年に関東自動車工業(株)が岩手工場(金ヶ崎町)を新設し、完成車の組み立てを開始したことにより本格化した。 比較的進出時期の早い事例として、1968(昭和43)年に福島県に進出した関東精機(株)(現、カルソニックカンセイ福島(株))、1969(昭和44)年に宮城県に進出した(株)京浜精機製作所(現、(株)ケーヒン)などがある。その後、(株)ケーヒンは宮城県南部に研究開発機能を整備するなど、当該地域を拠点化している。

 完成車生産については、1995(平成7)年3月にはセントラル自動車(株)が宮城工場(工機部門)を新設し、さらに2011(平成23)年1月には宮城工場を稼働させた。同社は、同年6月に宮城県大衡村に本社を移転している。こうして,2012(平成24)年7月に関東自動車工業(株)とセントラル自動車(株)、トヨタ自動車東北(株)が統合されてトヨタ自動車東日本(株)が設立されると、東北地方以外の既存工場では規模縮小・生産終了が計画され、岩手県、宮城県にコンパクトカーの完成車の組み立てが集約されることになった。その結果、東北地方における完成車生産は2012(平成24)年以降、50万台を超える規模となった。

表1 自動車部品メーカー( トヨタ系) の東北地方への進出状況
企 業 名 操業年 所在地 従業員数 主要生産品目 分工場(操業年)
アイシン東北(株) 1992年 岩手県金ケ崎町 480 各種アンテナ等電子系部品,各種バルブ等機関系部品
トヨタ紡織東北㈱ 1993年 岩手県北上市 903 自動車内装品 金ケ崎町(’03),大衡村(’11)
TBソーテック東北㈱ 1989年 岩手県奥州市 座席用カバー 福島県伊達市(’14)
ハヤテレ東北㈱一関工場 2011年 岩手県一関市 80 フロアカーペット,ルーフライニング
㈱デンソー岩手 2012年 岩手県金ケ崎町 831 車載用半導体部品
豊田合成東日本㈱ 2013年 宮城県栗原市 116 シーリング部品 金ケ崎町(’06)
東北シロキ㈱ 2013年 宮城県大衡村 22 ウインドレギュレーター,シートリクライナ
太平洋工業㈱栗原工場 2010年 宮城県栗原市 102 ボディー部品,バッテリー部品 栗原市('14)
トヨテツ東北㈱ 2010年 宮城県登米市 304 ボディー部品
中央精機東北㈱ 2010年 宮城県大衡村 59 スチールホイール
プライムアースEVエナジー㈱宮城工場 2010年 宮城県大和町 900 ニッケル水素蓄電池
㈱デンソー福島 2011年 福島県田村市 372 カーエアコン
資料)https://www.tohoku.meti.go.jp/s_car/pdf/141104_2.pdfを参考に各社HPより作成

 表1に示したように、トヨタ系の完成車工場進出にあわせて、1次階層の部品メーカーも相次いで東北地方に進出した。1990年代には岩手県、2010(平成22)年以降は主として宮城県への進出が中心となっている。福島県にもエアコン生産を担当する関連工場が立地している。これら1次階層にある部品メーカーは、取引可能な地元企業を発掘し、技術指導を行ってきた。その結果、トヨタ自動車東日本(株)の設立から5年間で地場サプライヤーは140社に増加し、2,000人の雇用増加につながったといわれている(『日本経済新聞』2017年6月29日)。2014(平成26)年の段階で、こうした1次階層からトヨタ自動車東日本(株)に納入される部品比率は4割であるが、2次・3次階層を含めた現地調達比率でみると、1割にとどまっていたといわれている。トヨタ自動車東日本(株)は、将来的に、現地調達比率を8割に引き上げることを目標にしている(東北経済産業局自動車産業室(2014)『東北地域の自動車産業の実態及び企業間連携に関する調査』東北経済産業局)。

 以上のような工業の新たな動きを郡山市の工業にいかに取り込むかが、工業の振興に向けて新たな課題となっている。


c 台風19号による被災状況

 2019(令和元)年10月12日に伊豆半島に上陸した台風19号は、12日昼頃から13日未明にかけて、福島県内の阿武隈川流域においても強い雨をもたらした。これによって、阿武隈川本流と支流との合流地点で「バックウォーター現象」が発生し、堤防の決壊、溢水が連鎖的に生じたといわれている。

 「帝国データバンク」によれば、郡山市の浸水地域に立地していた企業は441社あり、そのうち製造業は61社であった。郡山市内に立地する企業の被害は440億円に上り、郡山中央工業団地の立地企業のみで384億円の被害があったと試算されている(『福島民報』2019年11月17日、2019年12月14日)。郡山中央工業団地は、1964(昭和39)年に全国総合開発計画(1962年)に基づいて、常磐・郡山新産業都市に指定されたのを契機として整備され、1965(昭和40)年に造成・分譲された。まさに郡山市における工業の中核を担ってきたといえる。用地面積は114.5haにおよび、1988(昭和63)年に分譲が開始された郡山西部第二工業団地の173.4haに次ぐ規模を有している。

 台風19号による被害は長期間におよび、郡山市と郡山中央工業団地会の調査によると、2020(令和2)年1月時点で、浸水被害を受けた137社のうち4割にあたる60社が「一部のみの事業再開」にとどまっていることが明らかになった(『福島民報』2020年2月11日)。被災企業が抱える課題として挙げられたのは「財政支援に関すること」(41社)、「運転資金や設備の改修など経営に関すること」(27社)、「災害ごみの処分」(19社)などが上位を占めており、主として資金面での困難に直面して復旧が遅れていることがうかがえる。とくに、浸水被害に対応するための敷地の嵩上げ等については、補助がなく、費用面で困難を抱えることになった(『福島民報』2020年2月11日)。

 今回の被災をきっかけとして、日立製作所郡山事業所は撤退方針を決定した。郡山事業場の業務を愛知県、神奈川県に移転し、300人の従業員は他の事業場に異動することになった(『福島民友』2019年12月21日)。日立製作所郡山事業場は1964(昭和39)年に郡山市に設置された新産業都市指定以来の中心的な工場であった。今後は、コールセンター業務のみが維持される予定である。