2011(平成23)年3月11日の東日本大震災発生の翌日、福島県は一般社団法人プレハブ建築協会へ応急仮設住宅の建設を要請した。地震発生の3日後の3月14日に応急仮設住宅供給戸数を20,000戸と想定し、合わせて建設用地確保を開始した。そして、地震発生の12日後である3月23日には応急仮設住宅の着工に至った。また、同日に県による民間賃貸住宅の借り上げ制度の運用も開始された。
当初は、罹災世帯を2万世帯と想定し、応急仮設住宅を14,000戸、民間賃貸住宅の借り上げ(借り上げ住宅)を5,000戸、公営住宅を1,000戸、延べ20,000戸の供給を想定していたが、4月14日には避難状況から15,000戸の追加供給を決定し、応急仮設住宅を24,000戸、借り上げ住宅を10,000戸、公営住宅を1,000戸、延べ35,000戸の供給を決定した。
4月16日に応急仮設住宅の第一号である国見町山崎地区南町田の43戸が完成し、4月21日には入居が開始された。応急仮設住宅の供給は、当初はその全てを、災害協定を締結しているプレハブ建築協会に要請を予定していたが、迅速化を考慮して内4,000戸を、地元建設事業者を対象に公募(一次公募)し、12団体が選定された。その後、7月には再度、地元建設事業者を公募(二次公募)し、15団体が選定された。最終的には2013(平成25)年3月6日に応急仮設住宅の全住戸が完成し、3月末時点で応急仮設住宅の供給戸数は16,800戸、借り上げ住宅の供給戸数は24,503戸となり、特に借り上げ住宅の供給戸数は、当初予定した供給決定の2.4倍となった。
2012(平成24)年11月の福島県の調査では、県内の避難者は約9.9万人、県外への避難者が約5.9万人、推計約16万人が避難者となったと考えられる。応急仮設住宅は建築基準法の仮設建築物に相当し、3ヵ月を超えて存続させる場合は許可申請が必要となる。しかし、避難が長期化することが見込まれたため、2012(平成24)年4月に応急仮設住宅、借り上げ住宅ともに入居期間延長の措置がとられた。
応急仮設住宅の供給は、各市町村からの要請と県の需給判断によって決定されたが、前述のように借り上げ住宅の供給が当初予定を大幅に上回ったため、応急仮設住宅の入居希望者が借り上げ住宅に流れるとともに、避難の動きが少しずつ落ち着いたことで、中通りと会津地域の需要が減り、一方で浜通りでの需要が高まったことから、2012(平成24)年には中通りと会津地域の木造応急仮設住宅の空き家約300戸を浜通りに移築した。
福島県では、県内25市町村の189地区に16,800戸の応急仮設住宅が建設され、2013(平成25)年4月時点で、最大14,590戸に31,520人の避難者が入居したが、2014(平成26)年には、入居者の生活再建が進んだ一部の地区で使用終了した応急仮設住宅の撤去が開始された。また、合わせて復興公営住宅の整備が進んだことや、2017(平成29)年3月末には楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村、南相馬市、川俣町、川内村以外の市町村の応急仮設住宅の供与期間が終了したことにより撤去が本格化していった。
一方、応急仮設住宅のなかには、2015(平成27)年に会津若松市城北町の木造30戸が復興公営住宅に転用され、また2016(平成28)年からは無償譲渡も開始された。応急仮設住宅の無償譲渡は、当初は市町村や自治会、公益性を有する団体等が対象であったが、その後、県の産業振興等に寄与する個人事業主や民間企業も対象となり、2019(令和元)年までに267戸(集会所を除く)が譲渡された。郡山市では、富田町稲川原のPCパネルによる応急仮設住宅14戸が、川内村地域振興住宅として譲渡され、南一丁目の鉄骨プレハブの9戸が民間企業に、10戸が葛尾村の定住促進住宅として譲渡された。
その後、2018(平成30)年3月末には、楢葉町の応急仮設住宅の供与期間が終了し、2019(平成31)年3月末には、南相馬市、川俣町、川内村の供与期間が、2020(令和2)年3月末には、富岡町、浪江町、葛尾村、飯舘村の供与期間が終了し、この時点で応急仮設住宅は3,506戸、借り上げ住宅は1,067戸となった。