事故直後、国際放射線防護委員会(ICRP)の2007(平成19)年勧告を元に、年間被ばく線量が20mSvを超えるおそれがある原発周辺の12市町村(一部の地点含む)に避難指示が出されたが、本市には避難指示が出されなかった。原発事故後など「緊急時の被ばく対応の考え方」について、国際放射線防護委員会(ICRP)は、専門的立場から放射線防護に関する勧告や目安の提案をしている(表1 環境省(2022)『令和3年度版 放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料』上巻第4章p162)。
本市など避難指示区域以外の地域は、1mSvを超え20mSvまでのゾーンに相当することから、平常時の年間被ばく線量1mSv以下を目指して、除染や農作物への吸収抑制対策、食品検査など、様々な放射線量の低減対策が行われてきた(『郡山市史 続編4』第二編、第4章第5節三)。
原発事故後、「直ちに影響ない」という発表から深刻な事態へと拡大し、放射線に関する様々な情報がSNSで発信され、市民の間には不安が広がった。とりわけ、小さな子どもを持つ保護者の放射線不安は強く、子どもの被ばくをできるだけ低減させたいと、市民のなかでは県外への避難(自主避難)をする親子もみられ、ピーク時には6,040人(2013(平成25)年2月1日)うち18歳未満2,663人の方が県外に自主避難した(郡山市(2023)『郡山市公式ホームページ』「東日本大震災による避難者数の推移」<ttps://www.city.koriyama.lg.jp/uploaded/attachment/75291.pdf>)。