(2) 指定・登録文化財

 2012(平成24)年から2021(令和3)年までに文化財に指定又は登録されたものは、善導寺鐘楼、日本聖公会郡山聖ペテロ聖パウロ教会聖堂、守山藩御用留帳、地蔵山の来迎二尊石仏、守山城跡、丹伊田の大コブシ、聖神社(山崎文殊堂)のサワラの7点である。


【善導寺鐘楼】

 2015(平成27)年8月4日、清水台一丁目1-23に所在する善導寺鐘楼が国の登録有形文化財に登録された。善導寺鐘楼は1958(昭和33)年に建築された。善導寺(浄土宗寺院)境内の東方に建ち、桁行三間・梁間一間、切妻造本瓦葺で、高欄付の縁を廻らせて二階建風とし、法隆寺鐘楼に類似した形態をもつ。文化庁文部技官であり文化財保護委員の佐藤登の設計。人字割束やエンタシス付の太い円柱などに、古代建築意匠の習熟が窺える。善導寺本堂と庫裏は、2001(平成13)年に国の登録有形文化財に登録されている。


【日本聖公会郡山聖ペテロ聖パウロ教会聖堂】

 2018(平成30)年11月2日、麓山二丁目235に所在する日本聖公会郡山聖ペテロ聖パウロ教会聖堂が国の登録有形文化財に登録された。同聖堂は1931(昭和6)年に建設され、市中心部の高台に建つ。鉄筋コンクリート造、東西棟の切妻造で、北面東端に切妻造の玄関、西端に塔屋を突出する。塔屋隅部やバットレスに柱形を表す外観、シザーズトラスとアーチ梁を併用した小屋組など優れたゴシック意匠をみせる教会建築。設計は上林敬吉。上林敬吉はジェームズ・ガーディナーに師事し、1929(昭和4)年に独立。基本計画はジョン・バーガミニーによる(福島県教育委員会(2010)『福島県の近代化遺産』)。上林が実施設計をしたとされるものに、秋田聖救主教会、福井聖三一教会、宇都宮聖公教会が挙げられるが、郡山聖ペテロ聖パウロ教会では、秋田聖救主教会と同様、交差梁によるトラス架構の小屋組み下部に化粧アーチ梁が加えられ、内部は外観以上に厳かな雰囲気を醸し出している。


【守山藩御用留帳】

 『守山藩御用留帳』は143冊であり、そのうち郡山市が141冊、個人が1冊、東北大学が1冊所有している。2017(平成29)年4月7日に、郡山市が所有する141冊と、個人が所有する1冊が、県の重要文化財(古文書)に指定された。『守山藩御用留帳』は守山陣屋に詰める役人が書いた日誌であり、藩の行政や陣屋役人の構成や職務、年間の行事、天候や洪水、米穀の価格や流通、芝居の興行、一揆をはじめ領内で起きた事件や目明しによる捜索、伊勢参宮や湯治・縁組など、庶民の生活実態が記載されている。

 守山藩は、1700(元禄13)年に、水戸藩主頼房(よりふさ)の四男頼元(よりもと)の子頼貞(よりさだ)が、五代将軍綱吉から陸奥国田村郡と、常陸国行方郡・鹿島郡・茨城郡等のうち二万石を与えられて、水戸藩の御連枝として成立した藩である。田村郡守山と鹿島郡松川(東茨城郡大洗町)に陣屋を置いたので、守山領、松川領とも称した。守山藩は阿武隈川の東岸沿の31ヵ村を領した。水戸藩の御連枝としては、守山藩のほかに常陸国の府中藩(ふちゅうはん)・宍戸藩、讃岐国の高松藩がある。

 県内の藩政資料は会津藩の『家世実記』や中村藩の『相馬藩世記』などが知られているが、『守山藩御用留帳』は、藩の動向だけでなく領内の農民・商人の生活実態を知ることのできる貴重な資料である。


【地蔵山の来迎二尊石仏】

 2012(平成24)年12月17日、湖南町福良字後谷地に所在する地蔵山の来迎二尊石仏が市の重要有形文化財(考古資料)に指定された。石仏本体は上部・側面を石龕(せきがん)が覆い、全体的に保存状態は良好である。正面には雲上に立つ二尊の立像が併置され、左右両側には縁取りが施されている。紀年銘や銘文などは見られない。彫りは一枚の石から像形を彫りだす高浮き彫りの技法が用いられているが、頭部・顔面および腕部は、経年による摩滅や破損により、細部の表現を知ることはできない。『新編会津風土記』福良村(巻之九十八)に「白河街道の傍らにあり何人の所為にか弥陀の像二を巌面に雙へ彫れり」とあり阿弥陀如来と記載されている。この石仏は、様式的にみて鎌倉時代から室町時代とは言い難いが、この石仏が有する文化財的価値は、時代の新旧よりむしろ、中世の板碑の影響や信仰の痕跡をとどめながらも、湖南という風土的特徴が加わり、近世における独特な庶民信仰の一端を垣間見ることができる重要な歴史(考古)資料である。


【守山城跡】

 2016(平成28)年12月1日、守山城跡である本丸、二ノ丸とその周囲(八幡神社と郡山市が所有する田村町守山字三ノ丸、城ノ腰の合計13筆)が市の史跡に指定された。守山城は戦国時代には三春田村氏の支城であったが、奥羽の仕置により1591(天正19)年に蒲生氏郷が会津若松に入城すると、会津若松の支城となり、家臣の田丸具直が守山城に入った。二ノ丸と三ノ丸の間に幅25mの堀跡が残されており、堀跡には、長さ70m、高さ6mにわたる石垣が積まれている。石の積み方は大小の石を積み上げる「野面積み」である。この時期「野面積み」は東北では行われておらず、織田・豊臣期の西国大名が採用していた技法である。1591(天正19)年から1609(慶長14)年の間に守山城の修改築が行われ、「野面積み」の石垣が築かれたとみられる。2000(平成12)年度から2003(平成15)年度にかけて発掘調査が行われ、堀跡や石垣のほかに、二ノ丸から礎石建物跡や、16世紀から17世紀初め頃に製作された陶磁器類などが出土している。守山城は東北地方の戦国史・城郭史を考えるうえにおいて重要な遺跡である。


【丹伊田の大コブシ】

 2015(平成27)年5月28日、西田町丹伊田字仲田468番地に所在する大コブシが、市の天然記念物に指定された。丹伊田の大コブシは、西田町の高野小学校から約450m北東の穏やかな東斜面に所在している。樹齢は推定150年、樹高は19m、胸高周2.9m、枝張りは東10m・西9m・南10m・北6.5mと広く、樹勢は極めて良好であり、4月の満開時には全枝に純白の花を着け見事な景観を呈する。コブシはモクレン科の落葉高木で、古くから春を告げる花木として親しまれ、田打ち桜などの名で農作業を始める目安ともされてきた。西田町でも、この樹木の開花が田仕事を始める時期の目印となるなど、地域において長年親しまれてきた樹木である。丹伊田の大コブシは、本市内のみならず県内でも稀有な大樹であり、全国で指定されているコブシと比較しても、推定樹齢は比較的若いものの、形状等については遜色がなく、極めて貴重な樹木である。


【聖神社(山崎文殊堂)のサワラ】

 2018(平成30)年8月3日、湖南町福良字四十八滝8853に所在する大サワラが市の天然記念物に指定された。大サワラは丘陵中腹に建立された「聖神社(山崎文殊堂)」の前に成育する巨木で、樹木形状等は、樹齢約300年、樹高24m、胸高周囲5.24m、根元周囲6.8mで、枝張りは東5m、西7m、南5m、北9mである。聖神社(山崎文殊堂)は、1777(安永6)年の創建と伝えられており、山崎集落を眼下に眺望できる場所に位置している。参道に聳え立つ大サワラは、御神木的意味合いも持ち、地域住民に崇敬され保全されてきたと推察される。大サワラは、本市内のみだけでなく県内でも稀有な大樹であり、福島県緑の文化財に指定されているヒノキ・サワラと比較しても、形状等については遜色がなく、極めて貴重な樹木である。