(3) 地震災害による文化財の被害

 近年、大規模な地震が複数回発生し、郡山市でも被害が発生している。

 2011(平成23)年3月11日14時46分に、宮城県牡鹿半島の東南東約130km、深さ24kmで発生した東北地方太平洋沖地震(以下「東日本大震災」という。)は、マグニチュード9.0、最大震度7(郡山市は震度6弱)を観測し、津波をともなう巨大地震となった。この地震により郡山市では、公共施設の被害や住宅の倒壊をはじめ、道路の陥没や亀裂、橋りょうの損壊、上下水道管の破断による断水や漏水など甚大な被害をもたらした。

 この巨大な地震により文化財も被害をうけた。国指定文化財の旧福島県尋常中学校本館、大安場古墳、鹿島神社のペグマタイト岩脈の損壊。国登録文化財の如宝寺書院、善導寺本堂と庫裡、日本基督教団郡山細沼教会礼拝堂、郡山市公会堂。県指定文化財の開成館、石造塔婆(日吉神社)、鈴木信教墓、浄土松山。市指定文化財の音路の石造層塔、田村神社本殿・脇社々殿、黒木の石造三層塔、安積開拓官舎旧立岩一郎邸、安積開拓入植者住宅旧小山家、山崎の石造塔婆、延宝八年検地燈籠、伊東肥前の碑、安積開拓発祥の地など21の文化財が被害をうけた。

 2021(令和3)年2月13日23時7分、福島県沖の深さ55kmで発生した福島県沖地震(以下「2021年福島県沖地震」という。)では、マグニチュード7.3、最大震度6強(郡山市は震度6弱)を観測した。激しい揺れにより、郡山市では公共施設や建物、塀などの損壊をはじめ、道路の亀裂や断水、停電などの被害が発生した。この地震においても文化財が被害を受けている。国指定文化財の旧福島県尋常中学校本館、如宝寺の石造笠塔婆、大安場古墳、鹿島神社のペグマタイト岩脈の損壊。国登録文化財の如宝寺書院、善導寺本堂、庫裡及び鐘楼、日本基督教団郡山細沼教会礼拝堂、郡山市公会堂、日本聖公会郡山聖ペテロ聖パウロ教会聖堂。県指定文化財の開成館、鈴木信教墓。市指定文化財の安積開拓官舎旧立岩一郎邸、安積開拓入植者住宅旧小山家、安積開拓発祥の地、夏出の大キャラ、浜路のエゾエノキ群など18の文化財が被害を受けた。

 2022(令和4)年3月16日23時36分、福島県沖の深さ57kmで発生した福島県沖地震(以下「2022年福島県沖地震」という。)では、マグニチュード7.4、最大震度6強(郡山市は震度5強)を観測した。前年に引き続き激しい揺れに見舞われ、郡山市では再び公共施設や建物、塀などの損壊をはじめ、道路の亀裂や断水、停電などの被害が発生した。この地震においても文化財が被害を受けている。国指定文化財の旧福島県尋常中学校本館、大安場古墳。国登録文化財の如宝寺書院、善導寺本堂、庫裡及び鐘楼。県指定文化財の開成館、浄土松山。市指定文化財の安積開拓官舎旧立岩一郎邸、安積開拓入植者住宅旧小山家、音路の石造層塔、安積開拓発祥の地など12の文化財が被害を受けた。

 このように郡山市では10年ほどの間に東日本大震災、2021年福島県沖地震及び2022年福島県沖地震の3度の大きな地震に見舞われ、文化財はその都度被害の発生と修復等を繰り返してきた。各文化財の具体的な状況を以下に記す。


【旧福島県尋常中学校本館】

 旧福島県尋常中学校本館は、1889(明治22)年に建築され、1948(昭和23)年から福島県立安積高等学校の校舎として使用された。本館は明治期の西洋風建築の代表的な建物である。1977(昭和52)年に国の重要文化財に指定され、1984(昭和59)年に創立100周年にあたることから安積歴史博物館として使用されていた。東日本大震災により漆喰壁が多量に崩れ落ち、被害箇所も多数にのぼった。修理のため休館していたが2014(平成26)年から全面開館した。2021年福島県沖地震では壁に多数の亀裂やガラスが割れる被害が発生した。2022年福島県沖地震では前年の被害が拡大したほか漆喰壁の一部剥落が生じた。


【石造笠塔婆】

 如宝寺にある石造笠塔婆は、阿弥陀如来が半肉彫された高さ68cmの凝灰岩づくりの笠塔婆である。1936(昭和11)年に国の重要文化財に指定された。東日本大震災による被害は記録されていないが、2021年福島県沖地震では笠部分の一部損壊、傾倒の被害が発生し、修復が行われた。2022年福島県沖地震では市外へ移送しての修復中であったため、被害は発生しなかった。


【大安場古墳】

 大安場古墳には5基の古墳がある。そのうち、1号墳は、4世紀後半に築造された古墳で、全長が約83mの前方後方墳である。2000(平成12)年に国史跡に指定された。東日本大震災により1号墳の墳頂部・法面に亀裂が生じるなど被害が多数にのぼった。郡山市では復旧工事に取り掛かり、2013(平成25)年7月末に修復を完了し、同年8月から一般公開を再開した。2021年福島県沖地震では土器が破損した。2022年福島県沖地震では1号墳墳丘部分アスファルトの亀裂の被害が発生した。


【鹿島神社のペグマタイト岩脈】

 西田町から安達郡旧白沢村(現本宮市)にかけての阿武隈山地にはペグマタイトの岩脈が走っている。西田町丹伊田の鹿島神社の境内には、ペグマタイトの巨岩がいたるところに見られる。1966(昭和41)年に国の天然記念物に指定された。東日本大震災により岩脈の一部が崩落したが、崩落は一部で済んだため大きな被害にはならなかった。2021年福島県沖地震では岩脈の裂け目が広がり、斜面にあった岩の転落移動が生じた。2022年福島県沖地震では被害は発生しなかった。


【如宝寺書院】

 如宝寺書院は、1884(明治17)年に東北を視察した太政大臣三条実美らの一行を接待するために、白河町の財界有志が建てた陽春館を、1895(明治28)年に如宝寺の境内に移したものである。1階は6室があり、そのうち北東部の部屋は10畳の書院である。2階は12畳の部屋が東西に3室続いている。1998(平成10)年に国の登録有形文化財に登録された。東日本大震災により同書院は被害を蒙り、2階の破損が激しく立入禁止となった。2021年福島県沖地震では書院柱のずれ、柱の折損、瓦の落下、壁の亀裂の被害が発生した。2022年福島県沖地震では前年の被害が拡大し、その後取り壊された(『福島民友』2023年6月11日)。


【善導寺本堂】

 善導寺本堂は1909(明治42)年に上棟(棟札)した入母屋・桟瓦葺、正面向拝付本堂建築である。棟梁は京都大谷派本願寺御影堂を初め、多くの大谷派本願寺建築を手がけた帝室技芸員の第九代伊藤平左衛門である。舞良戸を多用した簡素な住宅風の外観構成に比べ、内陣廻りは彫刻や欄間で飾って彩色を施している。2001(平成13)年に国の登録有形文化財に登録された。東日本大震災により、本堂内部の壁が崩落し亀裂が入るなどの被害を蒙り、また橫柱が歪むなどの被害が甚だしく、被害箇所が多数にのぼった。2021年福島県沖地震では漆喰の亀裂、瓦の崩落、柱の亀裂、戸板の破損の被害が生じた。2022年福島県沖地震では内外壁亀裂、瓦の破損、雨戸施錠部破損の被害が発生した。


【善導寺庫裡】

 善導寺庫裡は、本堂北側に廊下で連結して建ち、入母屋造の東妻面を正面としている。東西に細長い建物で、鉄板葺の屋根の南面には明かり窓を設けられている。6畳間3室と10畳間4室が並列し、一部が2階建である。善導寺は1868(明治元)年8月14日の兵火によって焼失した。その後、1883(明治16)年に再興され、庫裡もその時に再建されたものとみられる。1900(明治33)年に再び火災にあったが庫裡は焼損を免れた。庫裡は東日本大震災により壁が崩落するなど被害が多数にのぼった。2021年福島県沖地震では漆喰の亀裂、瓦の崩落、柱の亀裂、戸板の破損の被害が生じた。2022年福島県沖地震では内壁の亀裂・剥落、建具のゆがみの被害が発生した。


【善導寺鐘楼】

 善導寺鐘楼は前述のとおり、2015(平成27)年に国の登録有形文化財に登録された切妻造本瓦葺の鐘楼である。東日本大震災による被害は記録されていないが、2021年福島県沖地震では鐘楼建屋柱の損傷、壁の亀裂の被害が生じた。2022年福島県沖地震では外壁亀裂の被害が発生した。


【日本基督教団郡山細沼教会礼拝堂】

 日本基督教団郡山細沼教会礼拝堂は、1929(昭和4)年に建築された。建物の構造は木造2階建、スレート葺で塔屋部分のみ3階建である。縦長の突出窓の上のトレーサリーと緩やかな放物線状の天井が特徴的である。2002(平成14)年に国の登録文化財に登録された。東日本大震災により2階の壁が崩落するなど被害箇所は多数にのぼった。2021年福島県沖地震では壁の亀裂・崩落、柱の折損の被害が生じた。修復後の維持管理費の捻出が困難なことから取り壊され、2022(令和4)年6月29日に登録有形文化財を取り消された。


【郡山市公会堂】

 郡山市公会堂は、郡山市制施行を記念して1924(大正13)年に建てられた。同公会堂はルネサンス様式を基調とし、2階建一部4階建で、鉄骨を用いて幾つもの三角形を組みあわせて造る鉄骨トラス小屋組の構造で、屋根は板状の素材で覆うスレート葺である。連続半円アーチの柱廊と窓台受、上げ下げ連窓などが丁寧にデザインされている。塔屋は縦長ガラス面で垂直性を強調している。大正期のロマンを漂わせる建物である。2002(平成14)年に国の登録文化財に登録された。東日本大震災により避雷針が歪み、壁に亀裂等が生じた。2021年福島県沖地震では壁の亀裂、屋根の破損とそれによる雨漏りの被害が生じたが、2022年福島県沖地震では被害は発生しなかった。


【日本聖公会郡山聖ペテロ聖パウロ教会聖堂】

 日本聖公会郡山聖ペテロ聖パウロ教会聖堂は前述のとおり、2018(平成30)年に国の登録有形文化財に登録された教会建築である。東日本大震災による被害は記録されていないが、2021年福島県沖地震では洗礼版の破損被害が生じた。2022年福島県沖地震では被害は発生しなかった。


【開成館】

 開成館は、1874(明治7)年に区会所として建てられた和洋折衷の三層楼である。明治天皇の東北行幸に際しては行在所となり、その後は郡役所、県立農学校、桑野村役場として使用された。大正初期には久米正雄一家が一隅で生活したこともある。戦後は住宅難から一時市営住宅として使用された。1960(昭和35)年に県の重要文化財に指定され、1966(昭和41)年から民俗資料館となり一般公開された。東日本大震災により壁が崩落するなどの被害を受けたため、修復のため臨時休館した。2021年福島県沖地震では躯体損傷、漆喰壁の崩落、柱の亀裂、天井損傷の被害が生じた。2022年福島県沖地震では前年の被害が拡大したほか、手すりが破損する被害が発生した。その後の状況を参考として記すと、2023(令和5)年に開成館以外の建物等は復旧工事が完了したため開館したが、開成館は修復中となっている。


【石造塔婆(日吉神社)】

 日吉神社の石造塔婆は、参道脇に16基がまとめられている。付近にあったものが工事等により集められたものである。多くは頭部が三角形で、2本の線が刻まれ額がつき出ており、その下に大きく種子が刻まれている。いわゆる板碑である。中には、1301(正安3)年4月、1318(文保2)と年号が刻まれている板碑もある。1958(昭和33)年に県の重要文化財に指定された。東日本大震災により3基が後ろの板碑に倒れかかった。2021年福島県沖地震及び2022年福島県沖地震による被害は発生しなかった。


【鈴木信教墓】

 鈴木信教は、1868(明治元)年に26歳で如宝寺の僧となり、明治の中頃に亡くなるまで、孤児や貧困家庭の子供たちを救う社会福祉の事業にあたった僧である。同墓は1956(昭和31)年に県の史跡に指定された。東日本大震災により、信教の墓石と近くの崩落した墓石が混在して転がった。その後、福島県の補助を受けて修復された。2021年福島県沖地震では倒壊の被害が発生し修復が行われた。2022年福島県沖地震では市外へ移送しての修復中であったため被害は発生しなかった。


【浄土松山】

 浄土松山の奇石の中に「きのこ岩」がある。長い年月を経るなかで風によって地層が侵食され、形がきのこのようになった岩である。1958(昭和33)年に県の名勝天然記念物に指定された。東日本大震災によって「きのこ岩」4ヵ所の笠が崩落し、ほかに岩崩れ、土砂崩れなどが3ヵ所発生した。2021年福島県沖地震では被害は発生しなかったが、2022年福島県沖地震では「きのこ岩」が一部崩落した。


【音路の石造層塔】

 音路太子堂の境内に石造層塔が建立されている。地元の人が発見した時は塔身・塔笠とも別々の状態で、付近の田や堀の中にあったものを集めて六層にしたものである。本来は五重塔であったものに、第四層が加えられ六層になったと見られる。他に、境内には石造塔婆があり、阿弥陀如来や胎蔵界大日如来、虚空蔵菩薩等の種子が刻まれているものもある。鎌倉中期以降の石造塔婆である。石造層塔と石造塔婆は、1958(昭和33)年に市の重要文化財に指定された。ほかに音路の獅子舞も同年に市の重要無形民俗文化財に指定された。東日本大震災により石造層塔は倒壊したが元の形に修復された。2021年福島県沖地震では被害は発生しなかったが、2022年福島県沖地震では再び倒壊した。


【田村神社本殿・脇社々殿】

 本殿の入仏は1662(寛文2)年、脇社々殿のうち熊野社は1661(寛文元)年、八幡社は1662(寛文2)年に建築された。熊野社・八幡社は1997(平成9)年の冬から翌年の夏にかけて解体修理が行われた。本殿・脇社々殿は、1968(昭和43)年に市の重要文化財に指定された。東日本大震災により、両脇社々殿の一部に破損をうけたが修復された。2021年福島県沖地震及び2022年福島県沖地震による被害は発生しなかった。


【黒木の石造三層塔】

 黒木の石造三層塔は、黒木付近では俗に「五輪塔」と呼ばれており、石質は硬質凝灰岩と思われる。初層の四面に梵字が刻まれている。本来は三層塔であったものと思われる。1968(昭和43)年に市の重要文化財に指定された。東日本大震災により倒壊したが、その後に修復された。2021年福島県沖地震及び2022年福島県沖地震による被害は発生しなかった。


【安積開拓官舎旧立岩一郎邸】

 安積開拓官舎旧立岩一郎邸は、福島県開拓掛の職員用官舎として建てられた3棟のうちの1棟である。第一番官舎は、開拓掛として赴任した立岩一郎(後に開拓出張所長)が使用し、後に払い下げられたものである。1988(昭和63)年に立岩家より郡山市に土地・建物が寄贈され、1991(平成3)年に市の重要文化財に指定された。同年から1994(平成6)年まで、解体・復元工事を行い、建設当時の姿に戻して保存し一般公開していたが、東日本大震災により外壁、内壁に亀裂、ひび割れ、一部が剥落する被害を受けた。2021年福島県沖地震では壁の崩壊、建具破損の被害が発生し、2022年福島県沖地震では前年の被害が拡大した。


【安積開拓入植者住宅旧小山家】

 安積開拓入植者住宅旧小山家は、1882(明治15)年に愛媛県松山から安積開拓で牛庭原に入植した18軒のうちの1軒である。1993(平成5)年に小山家から郡山市に寄贈され、市では創建当時の姿に復元・保存し、1996(平成8)年に市の重要文化財に指定された。東日本大震災により、外壁、内壁ともに亀裂、ひび割れ、一部が剥落するなどの被害を受けた。2021年福島県沖地震では壁の亀裂、梁のずれの被害が発生し、2022年福島県沖地震では前年の被害が拡大した。


【山崎の石造塔婆】

 山崎の石造塔婆は、日和田町八丁目と富久山町の境にある高場山中の恵日台と呼ばれている所に、二つに割れて埋っていたものを接合して、1947(昭和22)年に香久池の法久寺に移したものである。1286(弘安9)年6月4日に建立された板碑である。1958(昭和33)年に市の重要文化財に指定された。東日本大震災により、接合した部分が割れて倒れ、その後修復された。2021年福島県沖地震及び2022年福島県沖地震による被害は発生しなかった。


【延宝八年検地燈籠】

 延宝八年検地燈籠は、田村神社拝殿前の参道左側に建っている。1680(延宝8)年に守山領村々30ヵ村の検地を終えたのを記念して建てられた。奉納者は、検地奉行を務めた棚倉藩主内藤紀伊守の家臣脇田次郎左衛門である。1987(昭和62)年に市の重要文化財に指定された。東日本大震災により円柱にずれ、台座との接地箇所の一部に破損が見られ、その後修復された。2021年福島県沖地震及び2022年福島県沖地震による被害は発生しなかった。


【伊東肥前の碑】

 伊東肥前の碑は、1588(天正16)年の郡山合戦で戦死した伊東肥前のため、仙台藩四代藩主伊達綱村が、肥前の曽孫伊東重良に命じて建立させたものである。1958(昭和33)年に市の史跡に指定された。当初は逢瀬川の北側に建てられていたが、度々の洪水により逢瀬川の南側に移され、1957(昭和32)年に県道拡張のため郡山機関区の三角州に移され、1970(昭和45)年に郡山機関区の整備のため久保田の日吉神社境内に移された。東日本大震災により、同碑は大きく向きを変えたが(約90度)、その後に元の向きに戻された。2021年福島県沖地震及び2022年福島県沖地震による被害は発生しなかった。


【安積開拓発祥の地】

 安積開拓は、1873(明治6)年から福島県が主導して行った開拓と、1878(明治11)年から国が行った開拓からなる。1874(明治7)年に開成館が建てられ、福島県第十区会所(後に第七区会所)となり、県の開拓掛、県の勧農局出張所が置かれた。また、開成館の敷地内には開拓掛職員の官舎(旧立岩一郎邸)等が建築されたことから、この地が安積開拓発祥の地として、1992(平成4)年に市の史跡に指定された。東日本大震災により、開成館初め、敷地内にある旧立岩一郎邸、旧小山家、旧坪内家などの建物の壁が崩落するなど甚大な被害をうけた。2021年福島県沖地震では開成館、旧立岩一郎邸、旧小山家、旧坪内家に被害が発生し、2022年福島県沖地震では前年の被害が拡大した。その後の状況を参考として記すと、郡山市では復旧を終えた旧立岩一郎邸、旧小山家、旧坪内家を、2023(令和5)年10月1日から一般公開した。


【夏出の大キャラ】

 夏出の大キャラは逢瀬町夏出の薬師堂境内に立っている、目通り幹囲2.6m、樹高約12mに達するキャラの大木である。1968(昭和43)年に市の天然記念物に指定された。東日本大震災による被害は記録されていないが、2021年福島県沖地震では倒木の被害が生じた。2022年福島県沖地震では被害は発生しなかった。


【浜路のエゾエノキ群】

 浜路のエゾエノキ群は湖南町浜路に所在する樹木群で、江戸時代には猪苗代湖の湖上交通の標識の役割を果たしていたとの伝承がある。エゾエノキは樹高25m、幹周7.6m、胸高直径2.4m、枝張りが東西28m、南北26mで、樹齢約360年から400年と考えられる代表樹と、他の6本がケヤキ2本とともに群生している。2003(平成15)年に市の天然記念物に指定された。東日本大震災による被害は記録されていないが、2021年福島県沖地震では幹上部が折れる被害が生じた。2022年福島県沖地震では被害は発生しなかった。

(郡山市教育委員会(2001)『郡山市の文化財』、郡山市教育委員会(2011)『郡山市の文化財 追加版別冊』、『郡山市史続編4 資料編』)

(柳田 和久)