119.柳橋の歌舞伎(やなぎはしのかぶき)

 

市指定重要無形民俗文化財 昭和58(1983)年3月31日指定

所在地郡山市中田町柳橋
所有(管理)者名柳橋歌舞伎保存会 (問合せ)中田公民館
アクセス郡山駅前から小野駅前行き、柳橋下車 ※毎年敬老の日の前日の日曜日に柳橋歌舞伎伝承館にて開催。
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 柳橋の歌舞伎は江戸時代の末期から行われてきたと言われています。柳橋は江戸時代、天領であったため芸能が自由に行われ、菅布禰神社の祭りに村人が芝居や歌などを楽しんでいたことが歌舞伎の始まりになったといわれています。

 明治20年代に入り休演をしなければならなくなりますが、1907(大正5)年、一時復活しました。しかししばらくするとまたも行われなくなってしまいました。

 1931(昭和6)年、柳橋歌舞伎研究会が結成され復活しましたが、義太夫三味線を奏する人がいなくなると上演が困難になり、1972(昭和47)年行われなくなってしまいました。

 しかし、1980(昭和55)年、柳橋地区ぐるみの支援を得て復活し、現在に至っています。演じる外題(歌舞伎の題目)は一ノ谷嫩軍記など15を数えます。

ちょっとブレイク

明け沼が赤沼に

中田町にある赤沼の由来は、坂上田村麻呂が奥州征伐の際にここを通り、この沼のほとりで夜が明けたので「明け沼」、あるいは沼が朝日に輝き朱に染まったので「朱沼」と名付けられ、それが後に「赤沼」となったとか。それにしても田村麻呂ゆかりの地名ってホント多いね。