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解題・説明
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口径63cm、高さ112cmの銅製の梵鐘です。中段の池の間に、この鐘を作るに至った経緯を記す長文の銘が刻まれています。そこには、満福寺二代の僧悦堂和尚の時に、「伊達政宗大勢、堂舎・仏閣・鐘楼堂・綯鐘供打破」したので、八代笠翁尊簔が綯鐘(とうしょう)再興の願いを大旦那の石田朝臣吉忠・同名吉次・高橋氏・渡部氏・桑名氏等に話したところ、これらの人々の奔走によって中地村民の協力がなり、1692(元禄5)年9月に実現したと記されています。末尾に刻まれた下野国佐野天明町の鋳造師井上元峰・藤原家次・同伝兵衛尉は当時一流の工人でした。 『新編会津風土記』にも、満福寺に「鐘一口あり。径二尺一寸。元禄五年八世笠翁が時に鋳る」と記されています。 この鐘は、作風が卑俗化しつつある江戸時代前期のものとしては、形が良く、音も美しく、その妙音は湖面を伝わって対岸まで届くと言われてきました。
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