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郡山市/郡山市デジタルアーカイブ

  1. 郡山市
  2. 郡山市の文化財(資料グループ)
  3. 三代の一里塚(目録)
  4. 三代の一里塚
目録内容
タイトル 三代の一里塚
タイトル(カナ) ミヨノイチリヅカ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
発売・製作者
発売・製作者(カナ)
発売・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量
形状
大きさ
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 「郡山市の文化財」解説ページを見る
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 三代の一里塚は、白河から会津若松に通じる白河街道の湖南町三代にあります。白河街道は、1590(天正18)年に豊臣秀吉が会津に入ったときに開発した道路で、江戸時代には、佐渡で産出した金を江戸に運んだり、会津藩の回米道として重要な街道でした。
 一里塚は、街道を通る旅人の里程の目標として一里毎に築かれたもので、1667(寛文7)年に会津藩が、幕府の命により築きました。 
 現在、このあたりは新道が通り、かろうじて残された旧道の北側に1基のみあります。周囲は33m余り、高さが4m以上あります。
 この塚は、会津若松の基点から7里目の塚であり、現在あるものは全国的にも数少なくなり、その意味でも貴重なものです。
 なお、1982(昭和57)年、湖南町中野地区の諏訪峠の麓の山林中からも、一里塚が発見されています。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 郡山市
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 立体物
資料種別
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 市指定史跡 昭和50(1975)年8月29日指定
IIIFマニフェストURL
参照データ
関連ページURL
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 独自規定あり
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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