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解題・説明
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「文楽」で知られる人形浄瑠璃は、江戸時代に関西、四国地方で大いに栄え、今なお、わが国の優れた伝統芸術として伝えられていますが、江戸時代に、安積郡山ノ井村高倉(現日和田町高倉)でも人形浄瑠璃が行われていました。これは全国の人形浄瑠璃分布の最北端に位置するといわれますが、その始まりは明らかではありません。 現存している太鼓胴に宝暦4年、延享4年、安永2年、寛政4年、嘉永5年の修理銘があり、幕には「吉田大越座江」等の文字が記されているので、長期間伝承されていたようです。 しかし、1893(明治26)年頃に廃絶し、人形など道具一式は、つづらに入れたまま山清寺に置かれていました。現在は、日和田公民館に、首(かしら)32体、手足各14箇、肩具等10箇、衣装50枚、幕4枚、太鼓胴1箇、他に小道具類が保存されています。 「高倉人形」として親しまれた人形浄瑠璃が、今に伝えられなかったことは惜しまれますが、庶民芸術の資料として、また人形浄瑠璃の分布上極めて価値の高いものです。
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