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解題・説明
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碑の高さ175cm、幅89.2cm、上部の厚さ27cm、下部の厚さ30.5cmの花崗岩造りで台石は2段になっています。 碑ははじめ逢瀬川の北にありましたが、たびたびの水害にあって、元文年間(1736~1741)に川の南の磐越西線と東北本線の中間の位置に移し、1957(昭和32)年に線路拡張のため郡山機関区内に移され、さらに市道拡幅により1970(昭和45)年に富久山町久保田の日吉神社境内に移されました。 伊東肥前は、戦国時代末期の片平町の中村城主として仙台伊達氏に従っていた武将で、1588(天正16)年の常陸の佐竹氏と伊達氏が戦った郡山合戦の際に、伊達政宗の身を守るためにその身代わりとなって戦死したと伝えられます。 この碑は、伊達家四代の伊達綱村が、肥前の曽孫伊東重良に命じて建てさせたもので、碑文は僧高泉が1692(元禄5)年に作り1694(同7)年に建てられました。 碑文の内容は、前述の郡山合戦での伊東肥前の武勇を讃えたものです。
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