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解題・説明
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戦国時代の、縦31cm、横35cmの用紙に記された書状です。現在は軸装されています。 差出人の「平禅 尚範(花押)」は、会津の蘆名氏の四天王の1人と数えられた平田弾正尚範です。宛所に「石沢平三殿 御宿所」と見えますが、その宿所は移川流域の石沢館(船引町石沢)か三春城下のそれをいうものと思われます。田村隆顕死去の危機に田村家中が結束を誓ったものかと思われる1587(天正15)年の血判書に石沢平十郎の名が見え(「田母神旧記」)、『伊達世臣家譜』の中の「石沢家譜」には「田村家累世之臣也」と記されています。 書状は、南山(南会津地方)の反乱鎮圧の時の援軍に対する謝意と同盟継続の意志を伝え、来るべき安積郡出陣の際の蘆名盛氏と田村隆顕の面談の取りなしを依頼しています。 年欠ですが、1568(永禄11)年のものと考えられ、安積郡をめぐる戦国大名達の合従連衡の様子を解明する貴重な文書です。 所蔵者は、南北朝時代の史料に登場する穴沢氏の後裔と伝えられています。
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