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解題・説明
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鎌倉時代に、秩父緑泥片岩に種子を刻み、諸仏尊の標識として路傍に建立する信仰が起こり、鎌倉御家人たちが守護地頭制をもとに全国に赴任するに伴い、全国的に分布し、地方では凝灰岩や花崗岩、安山岩などの自然石を用いるようになりました。 この塔婆は南向きに建立され、主尊大日如来(胎蔵界)の種子「ア」を標識として薬研彫りされ、紀年銘は「弘安元年大才戊刀4月 日」(1278)と刻まれています。西田町ではこれを最古として、1354(文和3)年に至る石造塔婆群が分布確認されています。鎌倉時代に河川・陸上交通の重要地として史書・記録文書が残されています。これら鎌倉仏教文化を示す石造塔婆群の豊富さが、西田町はもとより郡山地方中世の繁栄を裏付けています。自然石利用の石造塔婆、さらに弘安元年の紀年銘をもつものは他にはありません。
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