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解題・説明
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磨崖というのは、自然の岸壁を利用して文字や図像を刻んだもので、ここには33の観音像が彫られています。 この三十三観音については、明治時代に編纂された『田村郷土史』に詳しい説明がのっておりそれによりますと、1773(安永2)年大供村に悪疫(たちの悪い病気)が流行したため、村の庄屋である熊田宗右衛門が藤田友右衛門や藤田亦右衛門達と相談して、死者の冥福を祈り、あわせて村人の健康安全を願うため、西国三十三観音をここの岸壁に刻んだとのことです。その際、時の郡奉行六崎亟助がこれをつくるのに大いに賛成し、第一番の紀伊国那智山の如意輪観世音を寄附し、これ以後毎年、奉行と村人が春にこの三十三観音の前で花見の宴を開いたといい、旧暦3月17日を縁日として、明治時代になっても、お参りする人が大変多かったそうです。 三十三観音というのは、観世音菩薩が33の姿に形を変え、世を救い人々の身を守る菩薩となってあらわれたというもので、平安時代以後全国的に広まり、室町時代に西日本に西国三十三所観音が固定したものです。 この西国三十三観音に参詣できない人々のために全国に三十三観音が設けられ、市内には安積三十三霊場等が残されています。
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