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郡山市/郡山市デジタルアーカイブ

  1. 郡山市
  2. 郡山市の文化財(資料グループ)
  3. 磨崖三十三観音(目録)
  4. 磨崖三十三観音
目録内容
タイトル 磨崖三十三観音
タイトル(カナ) マガイサンジュウサンカンノン
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
発売・製作者
発売・製作者(カナ)
発売・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量
形状
大きさ
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 「郡山市の文化財」解説ページを見る
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 磨崖というのは、自然の岸壁を利用して文字や図像を刻んだもので、ここには33の観音像が彫られています。
 この三十三観音については、明治時代に編纂された『田村郷土史』に詳しい説明がのっておりそれによりますと、1773(安永2)年大供村に悪疫(たちの悪い病気)が流行したため、村の庄屋である熊田宗右衛門が藤田友右衛門や藤田亦右衛門達と相談して、死者の冥福を祈り、あわせて村人の健康安全を願うため、西国三十三観音をここの岸壁に刻んだとのことです。その際、時の郡奉行六崎亟助がこれをつくるのに大いに賛成し、第一番の紀伊国那智山の如意輪観世音を寄附し、これ以後毎年、奉行と村人が春にこの三十三観音の前で花見の宴を開いたといい、旧暦3月17日を縁日として、明治時代になっても、お参りする人が大変多かったそうです。
 三十三観音というのは、観世音菩薩が33の姿に形を変え、世を救い人々の身を守る菩薩となってあらわれたというもので、平安時代以後全国的に広まり、室町時代に西日本に西国三十三所観音が固定したものです。
 この西国三十三観音に参詣できない人々のために全国に三十三観音が設けられ、市内には安積三十三霊場等が残されています。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 郡山市
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 彫刻
資料種別
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 市指定重要文化財(彫刻) 昭和43(1968)年3月13日指定
IIIFマニフェストURL
参照データ
関連ページURL
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 独自規定あり
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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