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解題・説明
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宇津峰は雲水峰とも書きました。雲水すなわち修験山伏の修行の山でした。山麓には、田村大元帥明王社の道場が数多くありました。 南北朝時代に、最後まで南朝方にとどまった田村庄の庄司の領内にあるこの山が、詰城に用いられました。標高676m、比高426mの独立峰の山頂に立ちますと、北は安達郡南部の本宮から、安積、岩瀬、石川、遠く南の白河地方までを一望することができます。おそらく、押し寄せる伊東氏、二階堂氏、石川氏、結城氏それに会津、浜通りからの軍勢の動きが手に取るように見えたものでしょう。 宇津峰城は、最終的には1352(南朝文和2=北朝正平8)年5月に陥落しますが、この篭城戦を指揮したのは後村上天皇の甥の守永王(宇津峯宮を名乗る)を奉ずる陸奥介兼鎮守将軍北畠顕信であり、攻める北朝勢の総大将は奥州管領吉良貞家でした。 山頂には土塁に囲まれた20m四方程の千人溜まりという枡形を擁する星ヶ城と長平城があり、東の尾根続きには空堀が切られています。
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