刊行に寄せて

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元越谷市長名誉市民 大塚伴鹿

 市史編纂を始めたについては、由って来たるところがある。

 私の叔父に国民新聞の記者をした大塚文男という人がいて、越ヶ谷のやや確かな町史を小冊子にまとめたことがあった。少年の頃、私はこれを読んで郷土の歴史にはじめて興味をそそられたのである。その後、学生時代に、東条操先生から会田吾山の『物類称呼』の話をきいたり、山田孝雄博士の『平田篤胤』を読んで、『古史徴』の上梓が山崎篤利の出資にかかることなどを知って、郷土の先覚に少なからざる敬意を抱いたものである。こうして私の市史編纂への宿願が育まれた。

 戦後、東京から引きあげてきて、父祖の業を承けて越ヶ谷町長となるや、好事家たちが臆測をほしいままにしていた郷土史を、学問的なものにまとめあげなければならないと痛感したが、資金と人との見当がつかなかった。

 昭和二十九年越ヶ谷町外十ヵ町村が合併して越谷町となり、やがて三十三年市政を執行する頃、当地方にも都市化の波が打ちよせてきて、旧態も早晩影をひそめるに違いないことが目に見えてきたので、この機に市史編纂に着手せねば時を失なうと考えた。折柄、本間君という民間の熱心な郷土史家にめぐりあえたので、切ない財政を算段して、市史編纂の事業に踏みきった。幸いスタッフの諸先生の努力や市民諸氏の理解ある協力で、数多くの史料が世に出たばかりでなく、十年を経ずして愈〻通史編上梓の運びとまでなったことは、この上ない喜びである。

 これによって越谷の歴史は、物語的歴史の呪縛から解放され、科学的な歴史への第一歩を踏み出すことができた。

 本書の完成を支持した前・現両市長に感謝する。