概観

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 市域の広さ五九・七三平方キロメートルの平坦にして方形の輪郭を示す越谷市は、大宮台地と北総台地の間に挾まれた、埼玉東部低地帯の一角を占めて位置する。古くは奥州街道の宿場町として、また今日では私鉄沿線の衛星都市として、成立し発展してきた越谷は、時代的に異なる二種の交通手段を媒体として、「江戸―東京」とのかかわり合いの中から、その人文的基盤を培ってきた。これに対して、東縁を古利根川に、また西縁を綾瀬川によって囲まれ、中央を元荒川が貫流する越谷市の自然的基盤は、まさに水によって形づくられ、水によって特色づけられたものである(第1図)。以下、越谷市の自然環境を概観すると次のようになる。

第1図 越谷市とその周辺図(この地図は,建設省国土地理院長の承認を得て,同院発行の5万分の1地形図を複製したものである。(承認番号)昭50総複,第75号)

 越谷地方の気象的特色は、風向、風速とも臨海型を示すこと、埼玉県では最も風量が少ないこと、反面最も気温が高い地域に属していることの三点に要約できる。このうち臨海型の風系は、東京湾から最寄りの位置にあるだけでなく、大宮、北総両台地間の低地筋という地形の影響もかなり受けたものである。また平均気温の高さは、山地気候の影響がすくないことと、都市気候の影響を強く受けたためである。このほか埼玉県内では雹、霜、雷雨などの気象災害のすくない地域に属しているが、水害だけは例外である。

 衆知のように、越谷の地形は、一見まったく変化に乏しく単調である。しかし詳細にみると、ふたつの対照的な地形に分かれていることに気づかれるだろう。そのひとつは、古利根川、元荒川、綾瀬川の両岸に形成された自然堤防の微高地であり、もうひとつは、そこから遠く離れ溢流水の堆積作用をあまり受けなかった後背低湿地である。そして、集落と畑をのせて帯状に配列する自然堤防と、広々とした水田景観を繰り広げながら点綴状に分布する後背低湿地とが、平坦な越谷市域の微地形と、土地利用とにそれなりの変化をもたらしている。

 ところで、越谷地方の表層地質は、ほとんど粘土と砂の互層からできた沖積層である。最上層の上部粘土層には、しばしば泥炭層がはさまれている。次層の上部砂層は、場所によって厚さが異なり、多いところで七~八メートル、すくないところで二~三メートルの厚みをもって分布している。第三層の下部粘土層は、ところによって四〇メートルをこえて堆積している。最下層の下部砂層は、一~二メートルの薄い細砂層をなしているが、薄層のわりには連続的に分布している。さらにこの沖積層を東西に分断して、洪積世の越谷埋積残丘がある。埋積残丘は高いところで地下一〇メートル地点まで突起し、その幅も二キロメートルに及んでいる。

 越谷地方で、普遍的にみられる土壌は、二五%程度の砂を含む埴土で、これが市域の過半を占め、以下埴壌土、壌土、砂壌土、砂土の順に分布する。ついで、これらの土壌断面をみると、下層に砂質土壌を有するところと、泥炭を有するところに大別される。前者は自然堤防周辺に多く、後者は後背低湿地の旧池沼跡でよくみかける土壌断面である。

 市域の地下水は、地下三〇メートルくらいまでの自由地下水と、その下の洪積層中の被圧地下水(不透水層にはさまれて加圧された地下水をいう)とがある。自由地下水は、利根川中流部や荒川上流部から伏流してきたものである。また被圧地下水の客水基盤(水ガメの底の役目を果たしている部分)である洪積層は、D1、D2、D3と呼ばれる各層に分かれ、このうち地下一八〇~二〇〇メートルのD2層は、水量的に最も有望な帯水層といわれている。しかし水質的には、洪積世海成の旧中川谷という帯水機構を反映した化石水のため、必ずしも良好ではない。

 なお動植物分布は、農薬の普及と都市化の進展以来いちじるしく変化している。それは、植物ではコシガヤホシクサ、タヌキモなどの湿生あるいは水生植物の絶滅や激減となり、魚類ではボラ、セイゴなどの朔上途絶と、ウナギ、マルタ等の激減となってあらわれた。一方、環境の変化に対して、生命力の旺盛なセイダカアワダチソウ、オオマツヨイグサなどの帰化植物や、ハマエンドウ、コウボウシバなどの外来植物の繁茂と、オカメタナゴ、クチボソなどの繁殖がめだっている。このような状況の中にあって、久伊豆神社社叢の原植生の保存とシラコバトの増加は、環境保全と学術研究の両面から貴重な存在となっている。