微地形

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越谷地方の地形は、まったく平坦で変化に乏しい。しかし、現地調査や、地形図・文献・資料の分析結果を総合すると、現在の河道あるいは旧河道とその両岸に形成された自然堤防の高まりと、自然堤防から遠く離れた後背低湿地が帯状の配列と点綴状の分布を繰り広げ、それなりに平野における微地形変化を示している(第4図)。まず越谷地方の河川をみると、いずれも昔の大河川が、現在、水田地帯の集水河川として、ようやく生きながらえていることに気づかれるだろう。

第4図 越谷地方の等高線図(中川水系農業水利調査事務所資料より作成)

 たとえば、綾瀬川は鎌倉時代までの荒川の河道であり、元荒川は寛永六年(一六二九)に熊谷市久下付近で瀬替えされるまで、荒川の主流であった。古利根川にしても、江戸時代初期の新川通りと赤堀川の開削による瀬替えで、利根川が東進するまでは、本流として大量の水を流し沿岸に大きな自然堤防や砂丘を形成していった。それがたびかさなる瀬替えと河道変遷の結果、現在では、本川からの溢流水でもないかぎり、夏期は水田排水と天水によって、冬期は地下水の滲出によって涵養される、しごくおとなしい河川となってしまった。それだけに一般の河川のような堆積作用もなく、その点、越谷地方の微地形変化におよぼす影響力もほとんど喪失した河川ということになる。

 河川勾配は元荒川の場合、場所による凹凸――たとえば、瓦曾根堰や東武鉄橋上流点の凸部、末田・須賀堰下手の凹部――はあるが、平均的にいって、東武鉄橋を境にして、上流部がおよそ五〇〇〇分の一、下流部が三〇〇〇分の一の勾配を示している(第5図)。古利根川と綾瀬川の平均勾配も元荒川と大同小異である。

第5図 元荒川の河床勾配