越谷地方の洪積層

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越谷地方の第四紀層は春日部、草加での深層探査(第3表)により、約四〇〇メートル以浅となっている。第四紀層は地表を含む上層部に沖積層が、その下層部に洪積層がある。この二層の境界はどこに引いたらよいか。多くの柱状図を台地から低地に追跡し、軟弱な粘土の下にくる砂層(下部砂層)の下限をもって沖積層と洪積層との境とすると、ほぼ深さは三〇~四〇メートル前後になる。もっと詳しく調べるために、市内の小中学校建築の際の地質調査報告と、埼玉県企画部の地盤構造報告書をもとに、第5表の比較基準によって照合することにした。

第5表 沖積層と洪積層との比較(貝塚爽平「東京の自然史」)
沖積層 洪積層
シルト・粘土 暗灰~暗青灰 シルト・粘土 ―暗灰~青灰~黄灰
―暗灰~黄灰~赤褐
―青灰
標準貫入試験のN値 シルト・粘土 N=0~5~10未満 シルト・粘土 N=10~30
N<30 砂,礫 N>20
貝化石 多産,大型 まれに産し,破片多い
岩相 一般に泥質 一般に篩分けのよい砂が多い
腐植物 あり なし

 その結果は、第10図に示すような境界線の深さになった。市中央部の越ヶ谷小学校では一一メートル(第11図)、元荒川をはさんだ対岸の大沢小学校では一三メートル、東武線をはさんだ北越谷小学校で一三メートルとなっており、これら中央部の南、蒲生小学校では二一メートルとなっている。中央部の北の大沢北小学校では同敷地内で北東へかけて三四→五〇メートルと傾斜し、その北の桜井小学校ではほぼ四〇メートルになる。中央部の東の教職員住宅では一七・五→二五・九メートルと傾斜し、南西の富士中学校で二四→二九メートル、南越谷小学校では二〇→二七メートルと傾斜している。小中学校の柱状図をもとに第10図の境界線をたどってみると、越ヶ谷、大沢を頂上として蒲生にかけて洪積層の丘が地下に埋没していることになる。これを越谷埋積残丘と呼んでいる。第12図(三八頁上図)、第13図(三八頁下図)に示すように、越谷地方の洪積層は沖積層の下に埋もれ、沖積層の厚さによって発達状態が支配されている。一般には洪積層上部のローム層、淡色層、第一砂礫層は侵蝕され欠除している。しかし上部暗色層は越谷埋積残丘の越ヶ谷、大沢、蒲生地区で僅かにみられ、他の地方の上部暗色層に海棲化石が産出するのと同様に、この残丘上においても貝化石が発見されている。葛西用水が元荒川の下を伏樋となる地下一三メートルの深さから、アカガイ、イタボガキ、イタヤガイ、ハマグリ、ナミマカジワ、トリガイ、アカニシ、ツメタガイの貝化石と洪積層泥岩貝化石が発掘されている。

第10図 越谷市の沖積層と洪積層の境界点<br>(数字は地表からの深さm,→印は傾斜方向)
第11図 越ヶ谷小学校土質柱状図
第12図 越谷地方の地層断面図
第13図 越谷埋積残丘(沖積層の等深線m)<br>(埼玉県企画部「埼玉県南東部地帯の地盤構造」)
貝化石