古利根川・中川筋の遺跡

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越谷は古利根川、元荒川、綾瀬川の三河川が流れており、後に述べる見田方遺跡を考察する上でこれら河川筋における遺跡と比較し関連性を追及したい。古利根川筋上流の遺跡は杉戸町下野、下高野、上杉戸にかけての古利根川左岸の自然堤防上にあって、いずれも古利根川古道堤防である。また杉戸町の江戸川沿いの旧渡良瀬川氾濫の微高地にも三箇所の奈良時代の集落跡がある(第1表)。

第1表 古利根川(杉戸町)の遺跡
地名 時代 出土品
(いづれも破片)
標高
(メートル)
状態など 場所
下野川原 古墳後期 土師器 八・三 古利根川左岸
下野山合 奈良 土師器、須恵器 集落
下高野浅間前 鎌倉 土師器、須恵器 一一~一五 長禄三年板碑
下高野浅間前 奈良 土師器 一〇 集落
下高野浅間前 奈良 土師器、須恵器 一〇 集落
下高野後宿 奈良 土師器 一〇
上杉戸 平安 土師器、須恵器 集落
椿 椿裏 奈良 土師器 集落 旧渡瀬川氾濫原の微高地
椿 中道 奈良 土師器、須恵器 集落

 古利根川をくだった春日部市銚子口にも土器片が発見されているが、未発掘のためいつの時代のものかは不明である。くだって越谷市大相模地区には見田方遺跡があり、これは古墳時代後期の集落跡である。

 さらに、下流の草加、八潮にかけては現在のところ発見例が少ないが、東京都にはいると、第2表のように遺跡が増加し、葛飾区においてはすでに弥生後期の遺跡がみられる。このことは、自然堤防帯の前進や、三角州の発達が顕著であったなど、人の居住条件が早くからできていたことを物語っている。

第2表 中川下流(東京都)の遺跡
(東京都教育庁「東京都遺跡地図」)
地名 時代 出土品 環境など
葛飾区金町一浄水場 古墳 土師器 散布地
葛飾区水元飯塚町 弥生後期 弥生土器、土師器、須恵器 河川敷
足立区大谷田町 古墳 古墳?
葛飾区青戸(御殿山公園) 弥生後期 弥生土器、土師器
葛飾区柴又一ノ一 古墳 土師器、紡錘車 散布地
葛飾区柴又一ノ二七 弥生、歴史 弥生土器、須恵器
葛飾区柴又二ノ五 歴史 土師器
葛飾区柴又三ノ三〇 古墳 土師器、刀、埴輪、人骨 円墳
葛飾区高砂二七ノ一 古墳 須恵器、土錐、鉄器、銅器 住居址
葛飾区高砂七ノ二一一 奈良 須恵器 円墳(火葬墓)
葛飾区立石 古墳 土師器、須恵器、円筒埴輪
江戸川区松島 歴史 陶器、土錐 貝塚
江戸川区中央 歴史 土師器、敷器、鉄器、宋銭 貝塚
江戸川区北小岩六ノ四七 弥生 土師器、須恵器 集落
第6図 中川下流(東京都)の遺跡分布