見田方遺跡の地形・地質

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越谷市に関する古代の遺跡、遺物としては、草加市との境を流れる綾瀬川から縄文晩期の丸木舟が発見されているほか、『埼玉県史』に記載されている大相模古墳がある。しかしこの時の遺物は市内には見当らない。

 この大相模古墳とは、大相模耕地のほぼ中央にあった通称「一本杉」付近ではなかったろうか。この一本杉は、広い水田地帯の中ほどに小高い丘があり、その上に植えていたもので遠くから望見できたものである。ここは、「お墓がある」「キビ(気持)が悪い」など昔から言い伝えがあることから、容易に想像できるところである。

 一本杉付近は従来から土地が高く土抜きがくり返され、この丘も次第に縮小されて昭和四十年代には径二メートル前後、高さ一メートル前後になってしまった。

 昭和三十七年二月、耕地整理の際、一本杉付近の排水溝工事で甕一個が発見され、その後、多数の土器片が発見されるにおよび、昭和四十一年十二月と翌年三月の二回にわたり発掘調査が行なわれた。

 見田方遺跡は第8図の等高線に示すように、北東より南西にかけて舌状に突出た微高地にあることから、かつての自然堤防ではないかと推測される。昭和四十一年のレベル調査では、海抜三・五〇メートルと低くなっていた。これは相次いで行なわれた土抜きとその後の耕地整理、および地下水くみ上げによる地盤沈下によるものと思われる。

第8図 見田方遺跡付近の等高線(昭和31年実測)

 見田方遺跡の地質は第10図―1、2、3のようであって、第10図―2のNo.4、第10図―3のNo.1・No.2が住居址のある地点で、いずれも深さ三〇センチメートル前後の砂を含む粘土層上に位置している。発掘地の地質調査では第10図―4に示すように、遺構は比較的堅い地層である砂質粘土または砂礫粘土層上にあった。発掘の際壁面をみるといくつもの層があり、有機質黒色土層は五~一〇層に及び、遺物の多くは有機質第三黒色土層に含まれている。

第10図―1 見田方遺跡付近ボーリング地点
第10図―2 見田方遺跡付近のボーリング柱状図(北側)
第10図―3 見田方遺跡付近のボーリング柱状図(南側)
第10図―4 見田方遺跡付近のボーリング柱状図(南北)