漁網用おもりが二七個出土している。第41図の1~27までの土玉で、径二〇~三〇ミリメートル、孔径三~六ミリメートルという小さなものである。おもり自身には区別がないが、詳しく調べるとおよそ二種類に分けられる。すなわち孔径三ミリメートル内外のものと孔径五ミリメートル内外のものである。これにより本遺跡には二つの漁網があったと推測できよう。この漁網は小形の個人用であって、付近の池沼にて漁をしていたことを物語っている。
また第41図A~Hの八個の土錘が出土している。これらの土錘は磨耗破損が多いが長さは一センチメートル前後、径四~五センチメートル、孔径は一〇ミリメートル内外である。これらから推定すると一〇ミリメートル位の太い漁網を使用し比較的大きな川、沼などで部落などの集団によって漁をしていたのではないかと考えられる。土錘に含まれている砂の大きさ、焼成などをみると別々に作られたものか、あるいは時期を異にして作られたものと見受けられる。このことは操業中に欠損していったとき一個々々補充していったものと考えられる。