籾
10ハGの炉跡と推定される位置から南東の方角一メートルのところに籾一握みが発見されている。今回の発掘範囲では稲作を実証する遺構は発見できなかったが、この籾の発見により、当集落に続く低地では既に稲作が行なわれていたものと思える。