発掘調査の対象となった遺跡の広さは約一八アールであるが、現在までの遺物埋蔵地および住居址の発見地は第10図―1に示すA~Eの五箇所でありその広がりはおよそ一六ヘクタール(一六町歩)におよんでいる。A地点では水田耕作面の下約二五センチメートルの深さに住居址床面と多数の土師器片が埋没しており、B地点では大排水溝によって住居址の断面が露出しており土師器片が溝に散乱している。C地点では小排水溝に住居址断面が露出し、D地点では水田耕作土中に土師器片があることから試掘の結果第二黒色土層より多数の土師器片を採集している。発掘調査地に続くE地点からは大型の甕破片を採集し試掘の結果は耕作面より二〇~三〇センチメートルの深さに土師器片が存在していた。なおD地点は調査の後に土抜きが行なわれ現集落地である大成町方面の宅地の盛土に使用されている。
発掘調査地はさきに住居址の項で述べたように僅か一八アールの広さの中に炉跡、ないし竈跡と認定できるものが六ヵ所あり、これに続くE地域を含む場所が五箇所の埋蔵地域の中でもっとも住居址の多いところと推定される。見田方遺跡の総戸数については今後の詳しい調査にまたねばならない。