埼玉郡の郷

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埼玉郡に置かれた郷は『倭名類聚抄』によると太田・笠原・草原・埼玉・余戸の五郷でその位置はおよそ次のようだとされている。

 太田郷 「於保田」と訓む。後世太田庄と称されたところで鷲宮町(旧鷲宮町)、久喜市(旧大田村・久喜町)、白岡町(旧日勝村)、宮代町(旧百間村)付近一帯の地域。

 笠原郷 「加佐波良」と訓む。太田郷の西北、埼玉郷の西南に当り、『日本書紀』の安閑天皇元年(五三四)条に見える武蔵国造笠原直使主の由縁の地とされ、鴻巣市(旧笠原村)、菖蒲町(旧小林村・栢間村・菖蒲町)、騎西町(旧種足村・騎西町)付近一帯の地域。

 草原郷 「加也波良」と訓む。草原は低温の沼洲に萱等が生残っている状態の地域と解し、『万葉集』の「埼玉の津」に連なる地域として、加須市(旧加須町・志多見村)、羽生市(旧羽生町・須影村)、騎西町(旧内田ケ谷村)付近一帯の地域。吉田東伍は『大日本地名辞書』で郷の古係属を欠く新方領・越谷領・八条領辺とも考えられるとしているが、自身疑いを入れている。

 埼玉郷 「佐以多万」と訓む。郡家や式内社前玉神社、万葉史蹟小埼沼のあった地とされ、行田市埼玉を中心とした行田市(旧忍町・荒木村・埼玉村)、羽生市(旧新郷村)、吹上町(旧下忍村)付近一帯の地域。

 余戸郷 村岡良弼の『日本地理志料』は、郡の西方の岩槻・越谷・八条・新方四領の内で八条・大相模・箕輪・閏戸の諸郷の地を充てている。吉田東伍は「今詳ならず、蓋埼玉郷の余剰にして、会川の彼方なる、羽生領の地にあたるか」としているが明確でなく、県史も条里遣構等から地理志料の説に従い、一般には越谷市(旧越ケ谷町・大相模村)、八潮市(旧八条村)付近一帯の地域としている。

 以上の郷は九世紀後半から十世紀前半頃に置かれた郷と考えられているが、十一世紀以降律令制の衰退と荘園制の盛行により荒野開発が進められ、多数の村落が成立して、中世的郷が出現してくる。『新編武蔵風土記稿』は埼玉郡の郷として次の郷名を挙げている。

 渋江郷、鬼窪郷、八条郷、栢間郷、河口郷、菅垂水郷、古江郷、糯田郷、鎌塚郷、池上郷、成田郷、箕輪郷、閏戸郷、大相模郷、鷲郷、八彦郷、海府郷、海上郷、太田郷、久喜郷、葛浜郷、鷲ノ宮郷、北方郷、須賀郷、村君郷

 右のうち、越谷に深い関係をもつ郷は、市域の大相模郷とその本拠となった岩槻の箕輪郷、渋江郷であろう。