「著聞書」は、賢真上人伝説に続いて、後半で、新方領主で向畑城主の新方氏と八条領主八条氏とが、新方領の支配を巡って連年戦ったと記している。その慨略を次に示す。
文亀四年(一五〇四) 八条惟茂、新方侵入、小林郷(市内東小林)で新方頼希と合戦しこれを討取る。栄広山住職高賢上人は頼希の兄であったため、同山も焼かれ、高賢は渋江の欣誉上人を頼る。
永正十七年(一五二〇) 高賢、八条氏の一族別府三郎右衛門の守る向畑城を攻撃、同城を焼払って栄広山を再建する。
永正十八年 八条氏、青柳・小作田・柿木・大相模・西脇・領家・国分寺の各氏を率いて再び新方に乱入、高賢は渋江氏の加勢を得て、大吉、瓦曾根、大沢で八条方を破り新方領を確保する。
以上の通りであるが、これらの合戦もまた当然、史料的に確認することはできない。わずかに、市内向畑に、中世の館跡と思われる遺構が存在したが、破壊が甚しく今そのおもかげはない。