日蓮宗

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日蓮宗が武蔵の地に波及したのは、日蓮が佐渡へ配流される途次、武蔵を通過したが、このとき在地土豪層の人びとがその徳を慕い、日蓮に帰依して己れの邸宅を寺としたのに始まるといわれる。その例として取あげられるものに、児玉の児玉六郎右衛門時国による玉蓮寺、戸田の隅田五郎時光の妙顕寺などがある。日蓮没後同宗の本拠は、甲斐の身延や武蔵の池上や下総の中山におかれ、関東の地はいわゆる日蓮の六老僧らによって布教活動が活溌に行われた。したがって県下ではこれら六老僧を開山とするものが七ヵ寺ほど数えられる。ことに室町期に入ると池上の本門寺が武蔵の拠点となって、宗勢の発展をみているが、足立郡では戸田の妙顕寺、和光の妙典寺、川口の宗信寺が同宗の教線拡大の中心であったとみられる。

 越谷地域の日蓮宗寺院は、増林にある下総国平賀本土寺末の妙富山法立寺だけであるが、近辺の下赤岩(現松伏町)にも本土寺を本山とした妙法山蓮福寺があるので、当地域は本土寺の教線下にあったようである。