板碑は、釈尊の遺骨を埋蔵したことを標示する三重塔、あるいは五輪塔、宝篋印塔、宝塔などと同じように、仏教でいう塔婆の一種であり、板状の一石供養塔である。はじめは、死者の菩提を弔い、後生善処を祈願して造立されたが、のちになると、自己の死後の安楽を願い、追善的な法事をあらかじめ行う逆修供養の造立が多くみられるようになった。とくに室町時代以降は民間信仰と習合し、多人数が結衆して、月待供養や庚申待供養などの刻名のある板碑を造立した。
板碑の材料は、主に関東では、枚のようにうすくはがれ、しかも細工のしやすい秩父産の緑泥片岩が多く使われている。それで、青石塔婆、板石塔婆などの名称もある。『新編武蔵風土記稿』その他、江戸時代の文献によると、板碑はこのほかに、古碑、板仏、平仏などと呼ばれていたようである。
板碑の形態は、頭部、身部、基礎部に分けられるが、頭部は、三角形にとがらせ、その底辺に二条の切り刻みがある。身部は長方形で、上部には礼拝の対象である阿弥陀如来(キリーク)や釈迦如来(バク)などの種子(しゅじ)、あるいは画像を蓮台の上に刻んだり、南無妙法華経の七字題目や南無阿弥陀仏の六字名写の文字を刻んだりしたものもある。また下部には、各宗派の経典のなかの、法理、仏徳をのべた偈や、造立趣旨銘、造立者名、年号などが刻まれている。そしてそれらには、金泥が塗られたものもある。室町以降になると、これら身部に、日月や天蓋、花瓶、三具足などを付して荘厳化されたものが多くなる。
基礎部は、土中、または台石中に入るもので、舌状、または逆字形に近い形になっている。
板碑の起源については、笠塔婆から変化したものとする説、五輪塔から長足塔婆を経たものとする説、修験者が入峰するときに行場に立てる木製塔婆の碑伝からとする説などがある。