十三仏板碑

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十三仏とは、初七日から三十三回忌まで、一三回の供養仏事のそれぞれの回忌を掌る一三の菩薩をいう。そのうち、初七日の不動(カーン)から阿弥陀(キリーク)までの十仏は、閻魔王をはじめ、地獄をつかさどると信じられる十王の信仰に結ばれている。これが発展し、七年・十三年・三十三年の三回が延長され、三仏が加えられて成立したのが十三仏信仰である。

 越谷市には、十三仏板碑が六基確認されている。

 (1) 文明三年(一四七一) 増林勝林寺

 (2) 文明五年       大松長野家勢至さま

 (3) 文明十三年      袋山釈迦堂

 (4) 天文九年(一五四〇) 大泊安国寺

 (5) 天正□年(一五□□) 東小林浜野家

 (6) 年号不詳       西方八坂神社

 (1)の増林勝林寺のものは、上部に日月天蓋を刻み、中央に「月待供養、文明三年辛卯逆修十一月廿三日、帰命月天子本地大勢至、為度衆生故普照四天下」の銘文があり、下部には、三具足、前机を刻み、「道金門、道慶門、覚善門、文阿弥門、道祐門、了性門、道善門」の人名がみられる。十三仏の種子の配列は次のように、虚空蔵(タラーク)を主尊にして、残り十二尊を二列六段に配してある。数字は十三仏配当表の種子番号を示す。

第13表 十三仏の配当
種子番号 忌日 仏菩薩名 種子 垂跡
1 初七日 不動明王 カーン 泰広王
2 二七日 釈迦如来 バク 初江王
3 三七日 文殊菩薩 マン 宋帝王
4 四七日 普賢菩薩 アン 五官王
5 五七日 地蔵菩薩 閻魔王
6 六七日 弥勒菩薩 変成王
7 七七日 薬師如来 バイ 太山王
8 百ヵ日 観音菩薩 平等王
9 一年 勢至菩薩 サク 都市王
10 三年 阿弥陀如来 キリーク 五道転輪王
11 七年 阿〓如来 ウーン 蓮上王
12 十三年 大日如来 バン 叛苦王
13 三三年 虚空蔵菩薩 ダラーク 慈恩王
増林勝林寺の十三仏板碑

   ⑫ ⑨ ⑦ ⑤ ④ ①

 ⑬

   ⑪ ⑩ ⑧ ⑥ ③ ②

 この板碑は、銘文でみる通り、月待供養と習合したもので、月の神を勢至菩薩の化身といわれる月天子とし、毎月、勢至菩薩の縁日の二十三日の夜に一所に集まり、月神を礼拝供養をしたものである。また逆修とあることより、自身の死後の法事を生前にあらかじめ修していたことがわかる。

 (2)の大松長野家勢至さまのものは、上部が欠失し、下部に「文明五年十月廿三日、明鏡、妙日、道□、道賢、□阿、道国」と刻んである。種子配列は次のようになっている。

   欠 ⑦ ⑥ ①

 欠 欠 ⑧ ⑤ ②

   ⑩ ⑨ ④ ③

 これらから、主尊は虚空蔵(タラーク)で、残り二種子は、阿〓(ウーン)、大日(バン)と推定できる。

 (3)の袋山釈迦堂のものは、上部に、日月、天蓋、逆修を刻み、種子の間に、「性祐禅尼、ひこ六、才二良(ろう)、二良三良、七良五良、たけひこ、二九良、ひこ二良」の人名があり、下部にも、三具足、前机を置き、文明十三年三月廿三日の年号のほかに、「ひこ四良、妙賢禅尼、性金禅尼、ひこ九良、妙西禅尼」の人名がある。種子配列は次のようになる。主尊は五点具足の胎蔵界大日(アーンク)である。

   ① ② ③ ④

 ⑬ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

   ⑨ ⑩ ⑪ ⑫

 (4)の大泊安国寺のものは、上部欠失であるが、下部に「天文九年記、四月十五日、奉待勢至供養、宗観大徳、浄円禅門」と刻まれている。種子配列は、(2)の大松長野家勢至さまと同一である。

 (5)の東小林浜野家のものは、下部欠失で、年月は、「天正、三月」しか判明できない。種子は主尊と六尊しかわからないが、(2)・(4)のものと同一に思われる。

 (6)の西方八坂神社にあるものは、下部欠失で、年号不詳である。上部に天蓋を刻み、主尊の下に、三具足、前机を置き、その下に奉の字が読める。種子配列は(1)の増林勝林寺のものと同一である。