会田家系図

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しかし「会田家系図」によるとこの資勝は、系図上からは除かれており、資勝の孫にあたる小左衛門資信が旗本会田家の祖となっている。そこで参考までに旗本会田家の系図を、幕府編さんの『寛政重修諸家譜』と、現在静岡市在住の会田安之助家に伝わる「会田家系図」とによってみると次の通りである。

寛政重修諸家譜および会田家系図 1
寛政重修諸家譜および会田家系図 2
寛政重修諸家譜および会田家系図 3
寛政重修諸家譜および会田家系図 4

 このように『寛政重修諸家譜』には、「会田家系図」の書上における資勝の取扱いが、「寛永諸家系図伝」の記事と異なっていることを指摘している。何故資勝が「会田家系図」では直系から除かれ、または省略されたのか、その間の事情はつまびらかではない。これら諸系図のほか傍証がないのでこれを明らかにする術(すべ)は今のところないが、少なくとも資勝が早い年代に家康に登用されていたのは事実である。