村の成立

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現在の埼玉県越谷市地域を地区別にすると、桜井・新方・大袋・荻島・増林・出羽・大相模・川柳(一部)・大沢・越ヶ谷の一〇地区となる。これらの地区は、明治二十二年(一八八九)の町村合併によって新たに成立した村々である。さらに大字として残された明治二十二年の合併以前における行政町村は二町五一ヵ村が数えられる。このうち大袋地区の恩間新田村は、明治四年に恩間村から分村したものであり、川柳地区の上谷は近世の初期から大相模地区の東方村に所属していた。したがって江戸時代の町村数は正確には二町四九ヵ村である。

 ただし出羽地区の七左衛門・越巻・大間野・谷中の各村、荻島地区の長島村、新方地区の向畑村は江戸時代初頭の成立による村々ではない。幕府が正保年間(一六四四―四八)に編さんした「武蔵田園簿」という武蔵国の村高調書によると、当時七左衛門・越巻・大間野の各村は槐戸(さいかちど)新田と称された一つの新田村であり、谷中は四町野村に、長島は西新井村に、向畑は川崎村にそれぞれ所属していたため、その村名の記載がない。これらの村々は元禄十二年(一六九九)頃の成立になる「元禄郷帳」という同じく幕府の村高調書にその村名が現われるので、正保年間から元禄年間の間に独立分村した村々である。

 特殊な新田村を除き、近世の村々は、ほぼ元禄年間には固定していたので、記録などでその推移を知ることができるが、元禄以前となるとかならずしもつまびらかではない。ただ近世初期の越谷地域が、荒川(元荒川)を画して西が〝新方庄〟、東が〝崎西郡〟あるいは〝崎西庄〟と呼ばれていたのは確かである。