崎西郡

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崎西(きさい)郡は騎西郡とも記され、武蔵国の一郡名であった。越谷地域における天正十九年(一五九一)から寛永十三年(一六三六)にいたる徳川将軍三代までの寺領寄進朱印状には崎西郡と明記されているが、正保期(一六四四―四八)の幕府改定図には埼玉郡となっているので、おそらく寛永の末年に郡名が改定されたものであろう。この崎西郡の中には箕輪郷・白岡郷・閏戸郷・渋江郷などともに、越ヶ谷郷・大相模郷・八条郷が含まれ、荒川と綾瀬川の間および元荒川と古利根川の間、新方領の一部を組入れた広範な地域が崎西郡に属していた。