江戸時代の領名

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近世以前は国の下に郡が置かれ、その下に郷または庄などをもって土地の名にしていたが、近世の村々が成立してからは、郷や庄が解かれ、国・郡・村に統一された。このほか非公式ながら、数ヵ村あるいは数十ヵ村を単位にした領名が付されるようになった。これは支配領域でも行政領域でもなく、水利その他で関係の深い地域を便宜上区分して呼んだものと考えられる。なかには比企郡松山領や大里郡鉢形領、あるいは領主の名をとって名付けられた足立郡舎人領、同じく平柳領などのように、中世に呼称された支配地の領名をそのまま近世の領名にした場合もある。また新方領・越ヶ谷領・八条領のごとく、中世の郷や庄名がほぼ領として残された場合もあるが、地縁的な結合の深い組合せであったのは変りない

 越谷地域村々の領域をみると、第3表の通りである。このうち大沢は新方領に含まれるべきであるが、越ヶ谷宿のなかの大沢町なので、越ヶ谷領に組入れられたのであろう。野島と砂原の間に位置する小曾川は、地域からすると越ヶ谷領であるが、岩槻領に入っているわけは不明である。また三之宮・大道・大竹・恩間の各村は、当然新方領でなければならないが、当村は近世初期から岩槻藩領であったので、岩槻領に組入れられたものであろう。なお越ヶ谷領に組入れられている袋山と花田は現在元荒川の東に位置し、新方領の領域に入ってもよいようにみえるが、両村は、実は江戸時代、元荒川の改修によって東に位置するようになったもので、以前は越ヶ谷領地域と地続きであった。

 第3表 越谷地域の領域(新編武蔵風土記稿)
領名 村名
越ヶ谷領 越ヶ谷 大沢 花田 袋山 野島 後谷 砂原 神明下 四町野 七左衛門 越巻 大間野 荻島
新方領 平方 大泊 大里 上間久里 下間久里 川崎 大吉 向畑 大松 大杉 弥十郎 船渡 大房 小林 増森 中島 増林 大林
岩槻領 長島 谷中 西新井 三之宮 大道 小曾川 大竹 恩間
八条領 麦塚 伊原 蒲生 登戸 瓦曾根 西方 東方 見田方 南百 四条 別府 干疋