岩槻領

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岩槻藩は、天正十八年八月に高力河内守清長が岩槻城に封ぜられてから、青山・阿部・板倉・戸田・松平(藤井)・小笠原・永井・大岡(維新まで)と領主の交代がはげしい藩であった。しかも所領高の異なった藩主の交代や、あるいは藩主の禄高加増などがあり、それにともなって領地村々の組替えもはげしい変動をみせていた(第9表参照)。

第9表 岩槻藩の歴代藩主
期年 藩主 所領高
万石
天正18年(1950) 高力河内守清長 1.0
慶長4年(1599) 高力土佐守正長
高力摂津守忠房
元和6年(1620) 青山伯耆守忠俊 4.5
元和9年(1623) 阿部備中守正次 5.6
寛永15年(1638) 阿部対馬守重次 9.9
慶安4年(1651) 阿部備中守定高
万治2年(1659) 阿部伊予守正春 11.5
寛文2年(1671) 阿部備中守正邦 9.9
天和元年(1681) 板倉内膳正重種 6.0
天和2年(1682) 戸田山城守忠昌 5.1
貞享3年(1686) 松平伊賀守忠周 4.8
元禄10年(1697) 小笠原佐渡守長重
宝永7年(1710) 小笠原山城守長〓 3.2
正徳元年(1711) 永井伊豆守直敬 3.2
永井伊賀守尚平
正徳4年(1714) 永井伊豆守直陳
宝暦6年(1756) 大岡出雲守忠光 2.0
明治2年 版籍奉還

 越谷地域の岩槻藩領では、寛永二年(一六二五)岩槻城主阿部備中守正次の禄高加増にともない、恩間・大竹・大道・三野宮の各村が岩槻藩領に組入れられた。この四ヵ村は、岩槻の城付村々として幕末まで岩槻藩の領地であった。その後元禄十年(一六九七)小笠原佐渡守長重の岩槻入封に際し、西新井村が岩槻藩領に組入れられ、続いて宝永二年(一七〇五)小笠原長重の禄高加増にともない、大泊・越巻・谷中・四町野・長島の各村が幕領から岩槻藩領に組替えになった。ついで宝暦六年(一七五六)大岡出雲守忠光の岩槻入封に際しては、大泊・越巻・四町野・長島の各村と、西新井村の大部分が幕領に復し、代って大松村が岩槻藩領となった。

 したがってこの時点から幕末まで岩槻藩の支配に置かれていた村々は、恩間・大竹・大道・三野宮・谷中・大松の各村と、西新井村高一一一〇石余のうち一四〇石余の地域である。

  岩槻藩領村々(越谷地域)

寛永2年 恩間・三野宮・大竹・大道

元禄10年 西新井

宝永2年 大泊・越巻・谷中・長島・四町野

宝暦7年 大松(大泊・越巻・長島・四町野と西新井の大部分が幕領に復す)