堀田領

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 この堀田領の領主とは、堀田豊前守正休をさし、紀氏堀田流の本家筋にあたる。『寛政重修諸家譜』によると、堀田正休は天和二年(一六八二)三月、一万俵の蔵米をあらためられ、上野国四ヵ郡のうちと、武蔵国埼玉郡のうちにおいて一万石を与えられ、上野国吉井村に本拠を置いたとある。したがって土屋氏の転封の後をうけ、堀田領に組入れられた村々のあったことは確かである。砂原村松沢家文書によると、「堀田豊前守様御知行高四千七百石、家数百五拾三軒にて」家別普請役を勤めていたとあり、砂原村周辺に四七〇〇石の知行所があったことが知れる。しかし堀田領村々は砂原・後谷・荻島の各村のほか今のところ不明である。その後この堀田氏は、元禄十一年三月に領地があらためられ近江国に所領替えとなり、旧堀田領の村々はまたそれぞれ領主が変えられている。