六浦領

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元禄十二年(一六九九)、越ヶ谷領のうち堀田氏の領分であった砂原村と後谷村が、米倉丹後守昌尹の領地に組替えになった。米倉氏の「系譜」によると、丹後守昌尹は源義光から出た米倉氏の別家三代目にあたる。元禄九年若年寄に進み所領一万石の大名に列した。続いて同十二年一月十一日、武蔵・相模・上野・下野の四ヵ国のうちにおいて五〇〇〇石の加増をうけ都合一万五〇〇〇石の所領を与えられ、本拠を下野国都賀郡皆川村においた。砂原・後谷の両村はこのとき米倉氏の領分に組入れられたのである。その子昌明の代所領のうち三〇〇〇石を弟忠直に分地し、以後代々一万二〇〇〇石を領した。享保七年(一七二二)七月、六代忠仰(ただすけ)の代にその本拠を都賀郡皆川から、武蔵国久良岐郡金沢の六浦に移したので、米倉領は六浦領あるいは金沢領と呼ばれた。なお砂原・後谷の両村は、元禄十二年以降幕末まで六浦藩の支配に置かれていた。

米倉氏系譜