越谷地域の検地

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越谷地域の検地では、越ヶ谷町の元和五年(一六一九)・寛永六年(一六二九)寛文二年(一六六二)の検地、大沢町の元和五年・寛永六年の検地、越巻村の延宝六年(一六七八)、袋山村の天和元年(一六八一)などが記録のうえで知れるがつまびらかでない。また、越谷周辺では、埼玉郡八条領上馬場村に慶長十七年(一六一二)・同二十年、元和七年(一六二一)・寛永四年(一六二七)・貞享元年(一六八四)の検地帳が現存しており、『新編武蔵風土記稿』によると、岩槻領須賀村に、天正二十年(一五九二)と慶長三年(一五九八)の検地帳があると記されているので、越谷地域においても、古くは天正・文禄・慶長の年間に検地が行なわれていたかも知れない。

 しかし越谷地域では、これら近世初期の検地帳は現在のところ発見されておらず、わずかに西方村と別府村の寛永四年の検地帳と、寛永六年の大松村清浄院領検地帳が現存しているにすぎない。しかも別府のものは延宝九年(一六八一)、西方村のものは元禄十一年の写しであり、後年に修正加除された箇所もあってともに原型を失っている。しかし元禄八年(一六九五)に実施された幕府領村々の検地にもとずいて作成された検地帳は写を含め、七左衛門村(四冊)・上間久里村(二冊)・下間久里村(二冊)・大泊村(一冊)・大里村(一冊)・西新井村(三冊)・大房村(一冊)・大吉村(一冊)・袋山村(二冊)・小林村(四冊)・平方村(三冊のうち一冊欠)・越ヶ谷町(五冊のうち一冊欠)とよく揃っている。