年寄・百姓代

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年寄は組頭とも呼ばれたところもあり、名主の補佐役で、一村に数名置かれていたが、村によってその数は一定していない。年寄は複数の場合の名主と同じく、月番や年番で年寄役を勤めたところもあった。

 また百姓代は、名主・年寄に不正がないように監視する役であったが、この役が一般的に設けられるようになったのは近世も中期以降であるといわれる。なかには幕末まで名主・年寄のほか百姓代を置かなかったところもあった。この百姓代の人数も村によって異なっていたが、御料七左衛門村では「前々より内訳四組にて、壱組に百姓代壱人、年寄壱人」宛とあり、年寄・百姓代各四名で順番に年番勤めをすることに定められている。百姓代の主な任務は、年貢米永や諸夫銭の監査、ならびに名主・年寄立会のもとに御伝馬の触当や伝馬勘定をすることにあった。さらに七左衛門村では「年寄役之儀は、右百姓代相勤、翌年年寄役相勤候」とあって、百姓代を勤めた者が翌年自動的に年寄役に就任する定めになっていたが、これは特殊な例であろう。これら年寄や百姓代に選ばれる者にも一定の資格があり、相当の高持でなければならないとともに、相応の読み書き算盤ができる者に限られていた。