五人組帳

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五人組帳には、幕府(領主)が農民に対し、常に遵守しなければならない法令を前文に示しており、農民はまた承知しましたという誓約の署名や捺印をすることになっていた。このため名主は、五人組帳に示された法令の趣旨を徹底させるため、村人全員を集めて読みきかせ、納得させる義務が課せられていた。

 幕府法令を示したこの五人組前書は、江戸時代のはじめ頃は、地域によって異なるが、全文一〇ヵ条か一五ヵ条の簡単なものであった。しかし社会状況の変化にともない、次第に条文が追加され、文政期(一八一八―)以降には七〇条近くにも及んでいた。これら条文の骨子を、越ヶ谷町の元禄五年(一六九二)正月の「五人組御条目」四三ヵ条によって見ると、(イ)五人組の相互監視と密告制、(ロ)村入用費の吟味、(ハ)印鑑の取扱い、(ニ)支配所役人の非分の申告、(ホ)年貢皆済上の諸注意、(ヘ)火災の予防、(ト)代官・領主へのご祝儀上納の禁止、(チ)浪人・山伏・欠落人の村内立入の監視ならびに悪党の取締り、(リ)耕作手入の励行、(ヌ)田畑永代売買の禁止、(ル)質地の取扱い、(ヲ)用悪水井堀等の管理、(ワ)博奕や遊女の禁止、(カ)奉公人の規制、(ヨ)助郷伝馬の取扱い、(タ)鷹場法度の厳守、(レ)高札の保存などであった。

五人組御条目帳

 これが、文政十年(一八二七)の七左衛門村五人組帳前書によってみると、元禄期の条々のほか、新たに、(イ)無宿者の村内立入の監視、(ロ)長脇差や鑓・鉄砲所持の禁止、(ハ)冠婚葬祭時の飲食の規制、(ニ)徒党の禁止、(ホ)若者組の規制ならびに農休日の規制、(ヘ)神事祭礼や諸興行の規制、(ト)新規酒造や家作などの禁止、このほか舟運に関する規制から日常生活における慣行の規制など、実に六七ヵ条にも及んでいる。この文政期の五人組帳前書は、当時の世相の変化に対応したもので、元禄期のものと比較すると、時代の流れを感じとれる興味あるものである。