幕府の宗教政策

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天下を統一した徳川家康は、幕藩体制という新たに形成していく政治社会のしくみのなかに、寺社をどのように組入れていくかに意をそそいだ。こうした家康の意図にもとづき、江戸幕府の宗教政策は、ちようど幕府が諸大名を押えて権力を中央に集中していったように、全国に散在する寺院群を統制するため、寺院の本寺末寺関係を確立し、寺院の階級や僧侶の格式を固定させることに重点をおいた。

 この本末制度は、幕府のあらゆる宗教政策のなかでも、もっとも効果のあったものであり、機会あるごとに本末関係の整備に努めた。ことに寛文五年(一六六五)七月に発布された諸宗法度のなかには、「本末の規定これを乱すべからず」とあるように、本末関係の絶対性が示されるとともに、本寺の勢力を強化し、本寺の支配を通じて末寺を幕藩体制の秩序の下にこれを統制しようとはかった。それでは越谷地域寺院の本末関係をつぎにみてみよう。