小物成

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小物成とは、耕地にかかる本年貢以外の雑年貢のことで、小年貢ともいった。その品目は、幕府諸藩によって多種多様であった。小物成は耕地以外の地から、何らかの収益または便益のあるものにかける租税なので、商業・工業・漁業・林業などを営むことの少ない農村では、賦課される品目が少ないのが普通である。たとえば、ほとんどが水田で占められている御料分七左衛門村の年貢割付状にみられる小物成は、

  一永弐百六拾七文弐分 野銭  此反別四町四反五畝拾壱歩

  一永五文       林銭  此反別壱畝廿七歩

となっている。およそ当地域の主な小物成は、このような野銭・林銭・萱(かや)銭で占められている。

 このほか〝浮役(うきやく)〟ともいわれた商・工など諸営業に課せられる〝冥加〟や〝運上〟の類があるが、当地域ではこれら冥加や運上の多くは、江戸時代中期以降に賦課されている。たとえば西方村では、油絞り冥加永と酒造冥加永は安永元年(一七七二)から上納を命ぜられているし、瓦曾根河岸船問屋の運上は安永三年からである。その額は西方村の年貢割付状によると、酒造冥加が永二三文三分一厘、油絞り冥加が永二四〇文、河岸船問屋運上が永六〇〇文であった。なお当時は無届けの絞油業者が多かったので、幕府では、しばしば営業の届出を求める通達を出したが、天明六年(一七八六)には、勘定所役人が越ヶ谷宿にも出張し、絞油業者のきびしい調査を実施している。このとき登録した者は、越ヶ谷宿で五名、増森・西方両村が各二名、瓦曾根・蒲生の両村が各一名であり、この年から油絞り冥加永がそれぞれに課せられることになった。